ほんのちょっとの違和感を見逃さないこと
数日前のこと。
ラスト20代の誕生日にいつでも行けるか、とケーキ屋を後回しにしてその日に出会ったばかりの友人のテキーラに付き合ったせいで、あれだけ食べたかった丸いケーキが食べられなかった。
(翌日、改めて素敵なレストランで彼にデザートを食べさせてもらったが、それは"丸く"ないティラミスだった。)
違和感に敏感になること。
そこで感じたその気持ちは自分の本来の心の声を見直す最大のきっかけになると、現在進行系で読んでいる吉本ばななさんの『「違うこと」をしないこと』に書いてあった。
あれ、ふつうの人ができることがなぜ私はあまりできない…?(まあでもなんとか切り抜けられてきたからいけるのか)
あれ、仕事って、ふつうの企業ってもしかしてあまりにも向いてない…?(まあでも安定するし)
あれ、ずっとモヤってるあの人のあの発言、突っ込んでいれば今何かが違っていた…?(けど今から掘り起こして言うのは違うよね)
ずっと感じてきたちょっとした違和感に目をつぶり続けてここまで来たけど、今年に入って違和感アンテナが超絶感度を持ち始め、四方八方で感知して暴れるようになった。
この違和感と、心に層をなして溜まった靄を晴らしてあげないと、もう自分が可哀想で泣けてきてしまうくらいの状態になってようやく、自分を救えるのは自分しかいないと決心ができた。
じぶんが好きだったのはなんだっけ?
なにが心を洗ってくれるのだっけ?
あれだけ愛していた言葉と自分ともう一回、ここで向き合います。
始まり。