読書感想文『死後の恋』(後半)
耽美さを裏書きする、証拠なき証言
「死後の恋」の終わり方は最後の一言が有名。
アナスタシヤ内親王殿下……。
日本軍人にアナスタシヤ内親王殿下の面影を見たのか。
それともアナスタシヤ内親王殿下が生きており、日本軍人に変装していたのを、このキチガイ紳士が見抜いていたという話なのか。
キチガイ紳士という呼び方に統一しましたが、彼が本名を名乗っているとは思いづらかったからです。加えて彼の名前がこの街の人から忘れ去られてしまっているように感じていたため、名前は用いませんでした。
気がふれて軍から追い出されたということが事実なら、街の人に尋ねてみても確認してもよいでしょう。しかし、このようなキチガイ一人をわざわざ覚えていて、しかも(物好きなことに)関わろうとする人が居るでしょうか。厄介ごとに巻き込まれるのは御免だし、キチガイ紳士は見た目こそ薄汚い物乞いなのだから近寄りたくもないはずです。
「私は今一度、念のために誓います。私は決して作り飾りを申しませぬ」と、キチガイ紳士は事の有様を丁寧に説明していきます。この謙虚さの後ろにあるのは傲慢さだと、読み手の私は強く嫌悪感を抱いた次第です。誓ったからといって真実が語られるとは限らないので。
恋をしていたのは、リヤトニコフだけだった…ように描写されている
この不快感の説明
手早く申しますと私は、事情の奈何に拘わらず、その宝石が欲しくてたまらなくなったのです。私の血管の中に、先祖代々から流れ伝わっている宝石愛好慾が、リヤトニコフの宝石を見た瞬間から、見る見る松明のように燃え上って来るのを、私はどうしても打ち消すことが出来なくなったのです。そうして「もしかすると今度の斥候旅行で、リヤトニコフが戦死しはしまいか」というような、頼りない予感から、是非とも一緒に出かけようという気持ちになってしまったのです。うっかりすると自分生命が危いことも忘れてしまって……。
しかも、その宝石が、間もなく私を身の毛も竦立つ地獄に連れて行こうとは……そうしてリヤトニコフの死後の恋を物語ろうとは、誰が思い及びましょう。
リヤトニコフは美しい心を持っていたと思います。
でも、この紳士は違います。宝石に目が眩んだことを明確に認めています。
そして忌まわしい戦場泥棒として森に入っていきました。
そうして、木の幹に縛り付けられた死体を見つけて、ようやく…。
宝石に目がくらんだ醜い男から、恋なんてピュアな単語が出るなんて。
宝石の魔力に取り憑かれた男の戯言ではないでしょうか。
恋という発想に至るまでには長い時間を要します。物語が終わるまで、あくまでも二人は男同士でした。キチガイ紳士は男性のリヤトニコフに恋をすることはないと明言しました。ゆえに相思相愛とは考えづらいもののリヤトニコフが女性だと分かった時に過去どの位の時間を巻き戻して自分の感情を確認したのか少し気になるところですが。
正直ベースな話キチガイ紳士は恋に恋しているように見えました。「気高き乙女が私を愛してくれたのだ」と。前述しましたがキチガイ紳士は見た目40の浮浪者じみた見た目をしています。もう、過去に何があったのかは一先ず置いといて、今の自分を慰めるものが欲しいなんて心境になっていた可能性もあるのではないでしょうか。彼女を愛しているのなら「もっと早く女性だと知っていれば」の一言があっても良かったでしょう。宝石を集め持ち帰ってきた行動が、結婚を望んだ彼女への誠意ではないと思うのですが(いきなり素)
文脈から察するにリヤトニコフの片想いのよう。
私以外の読者諸君にもリヤトニコフの愛らしい仕草は恋のフィルターを通さなくても恋愛感情を帯びたもののように感じ取れるのではないでしょうか。性別の垣根を超えた愛らしさをチラチラ覗かせる作中の文章に脱帽です。
死後の恋を語るキチガイ紳士=聡明で可憐な乙女に好かれている俺すごい
っていう話に頷いてもらいたいがための作り話な気がしてきました。モテ話の捏造がバレバレなのに、それを冷笑しないで肯定しておくれというのだから笑い者にされている線もありそうです。
最後の最後まで何もかもが完成しないまま終わっていく『死後の恋』
恐ろしい出来事の連続と烈しい傷の痛みは、彼を正気に戻したり、狂気に戻したりしていたのでしょうか。戦場に赴いていたことが本当の話ならですが。
戦場に赴いたところまでは本当だとします。でも烈しい痛みなど始めからなく、比較的軽症だったキチガイ紳士が仲間を見殺しにしたというのが事実でしょうか(それも確かめようがありません)
もっと恐ろしい話だとしたらどうでしょう。リヤトニコフと同じ軍にいたというところから嘘で、敵軍にいた彼女に散弾銃を発砲し、宝石を奪い去った…なんてことだったら。
宝石は存在しているのか。存在しているなら持ち主は誰なのか。
キチガイ紳士が持つものは本当に宝石なのか(ガラス玉や石ころではないか、あるいは石ですらなく腐った肉なのではないか)
要するに、「あなたの話が本当らしくない」ということ。