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ある日突然「好きだけどごめん」と友達を辞められた話

前置き

話は5年前に遡る。
私がそう、大学に入りたてのウキウキ女子大生だった頃の話だ。
はっきり言っておくが大学生なんてのは、歳だけ少し大人びただけのただの子供だ。お子様である。いやそうじゃないぞ、という優秀な大学生の皆々様も勿論居るのは分かっている。しかしこの記事においての私を含む大学生というのは「JD」という肩書きに酔いしれながらインスタに可愛らしくて味は微妙なスイーツなどを載せてはキャイキャイ楽しんでいるお子様のことを指している。(この時点で既に失礼なことは謝罪させていただきたい)

私は典型的なキャイキャイ女子大生だった。大学なぞ半分遊ぶために入ったようなもので、別に特にやりたいこともなければ、毎日がつまらないわけでもなく、ただ単調な日々の中にしょうもない笑いが沢山あって、華の女子大生という肩書きにまんまと酔いしれながら、まあそれなりに毎日を楽しんでいるような、そんな調子だった。

そんな私は、大学に入学して早3ヶ月ほどで、約3年間付き合っていた彼氏と別れた。高校生活全てをかけた彼氏と、別れてしまったのだ。これが一生の後悔になりそうな現在の私など全く想像せず、「楽しくて充実した大学生活」のために、呆気なく終わらせてしまった。何たる浅はかさ。でもそれが現実で、それが私の、私のシュタインズ・ゲートの選択だったのかもしれない。まあ、その彼氏と別れたという話は今回の話においては本当にどうでもいい。ちょっと触れておかなければつまづく場面があるから触れただけなので、気にしないでおいて大丈夫である。

シュタインズ・ゲートの選択などと抜かしたが、私はもう物心ついた時から所謂アニメオタクというやつなのだが、私の他の記事も見れば一目瞭然だろう。そう、私はアニメオタクだ。だからアニメ繋がりの友達もそれなり多かった。それはリアルでも、そしてインターネットの中にも。

今回のお話のメインはそのインターネットの友人で、仮にも名前はSにしておこう。
Sとは確か高校二年生くらいからの付き合いなので、2〜3年の仲だった。某乙女ゲームにどハマりしていた頃に友達の紹介で出会った女の子だった。
Sはとても優しくて、そして私ともとても仲良くしてくれていた。何かに悩んでいたら相談に乗ってくれたりもしたし、時には同じジャンルの話でそれはそれは盛り上がったものだ。
Sは
地方に住んでいたのだが、何かの現場があるだとか何だとかで東京に訪れた際に一度だけ会ったこともあった。ずっとネット上でしか話していなかったSとの初のオフ会というやつで、それなりに楽しい時間を過ごしたことも覚えている。
そんな私とSの間に亀裂が入ったのは本当に突然の出来事だった。いや、突然だと思っているのは私だけなのだろうが。
「え・・・なんで・・・?」
そう呟いた私のTwitterから、彼女が消えたのだ。
どうしてだろう、考えたらもう答えなんてひとつしかなかった。
私が「煩かった」のだろう。
それは何故煩かったのか、これからお話していく。

趣味垢からの逸脱行為

趣味垢、というものは例えば映画が趣味であれば映画の話だけをするアカウント、例えば愚痴垢、となれば何かしらに対しての愚痴ばかりを投稿するアカウント。
何ならアニメやアイドルなどの場合、この作品のことを呟くためのアカウント、このアイドルのことを呟くためのアカウント、みたいにさらに細分化されていることもしばしばだが、巷のSNS(主にTwitter)では、ある程度の枠組みが水面化で存在していて、そこから逸脱した投稿・ツイートなどをすることは一定の人間からは嫌がられたりするものだ。誰もが一度は経験したことや、周りで見たことはないだろうか?

結論から言わせてもらうと、私はその趣味垢において逸脱行為をしていたのである。どんなことを話していたかと言うと、恋愛話である。ああ〜・・・と苦笑いをしたそこの諸君もきっといるだろう、笑っていい。浮かれた女子大生の私を。

一口に恋愛話、と言ってもその殆どが愚痴だった。先ほど話した高校時代の彼氏と別れた後、大学の先輩と付き合い始めた。その男が非常に面倒くさいタイプの男で、簡単に言うとウジウジ束縛系男子、というような感じだったのだが、常に意気地無しな上に一丁前に束縛はするという、誠に腹が立つ存在だった。

そんな彼の悪口?というか愚痴を毎日毎日そのアニメオタクアカウントで吐露していたのだ。何というか、結構我慢の限界だった頃で、もう誰にでもいいから話を聞いてもらって「それはウザイね」でも「それはくしやきちゃんは悪くないよ」などと慰めてほしかったのだ。

Sはほとんど私の彼氏話には首を突っ込んでは来なかった。それがそもそものサインだったのだから、すぐ気づけば良いものを、私には何も見えていなかったのだ。

というか、ここで皆が思っただろう。
「そんなに嫌なら別れれば?」と。
いや、本当にその通りではある。別れればいい、それだけだ。
だけれども、これを読んでいるそこの貴方に問う、
「仕事そんなに行きたくないなら辞めれば?」
そう言われてどう思うか、そんな簡単なことじゃないんだ、そうだろう?

当時の私にはその彼氏と別れるという事象は「そんなに簡単なこと」ではなかったのである。勿論付き合うとまでなったのだから情だってあった、それに何度も別れ話は持ちかけたのだ。だけれど毎回べそべそ泣かれてしまうもので、それを無下にするのも罪悪感で出来なかった。

まあそんなことで、浅はかな私は趣味垢において趣味の内容をかなり逸脱した恋愛話を、その彼氏と同じように「ウジウジ」と書き連ね、Sとの距離は結局ネットワークの中で永久に縮められないものとなった。

「好きだけど」護身術

「好きだけど」護身術とは何か。
そのままの意味である。
「好きだけど」という前置きで保身を狙う常套句だ。
Sはそれを別の友人経由で使ってきた。上手い話である。

Sとの別れは突然だった。友達辞めます、わかりました、などという言葉も何も、交わしていない。簡単に言うとアカウントをブロックされたのである。気がついたらフォロワーが1人減っていた。

あれ?私もしかしてブロックされてる?
そう思っていた時に別の友人からダイレクトメッセージが来て、事の詳細を聞かされる。

「好きだけど、合わないなって思っちゃって」
「嫌いになってはいないんだけど」
「心の底から大好きだよ、ごめんね」

・・・ほう。ほう、としかならなかった。
好きだから?好きだけど?ふむ・・・

好きとは・・・それはエゴなのではないか・・・?の気持ちで埋め尽くされた。友達を辞める、その相手に言うべき言葉ではない。ましてや一方的に、だ。

私が逸脱行為を自覚したのはブロックされた後で、それに時間はかからなかった。ああ、あれのせいで、ダメだったのか。と反省した。浮かれて大学の恋愛話などするべきでは無かったんだ。私とSは「趣味ありき」の友人でしかなかったんだということを忘れてしまっていたことにそこで気がついた。

「好きだけど」というのは相手を思い遣っているようで、自分を思い遣っているだけに過ぎない。本当に相手のためを思うなら「ちゃんと話をするべき」だと思うからだ。

好きだけど話をしなかったのは、「好きだけど」を付与することで「好きだけど仕方がない」という「やむを得ない事情」のように仕立て上げ、気まずい会話を逃れようという心情の表れなのだ。
え〜そんなTwitterのフォロワー如きで大袈裟なwという感覚の持ち主とはおおよそSNSの価値基準が違うので、それはブラウザバッグでどうぞ・・・という感じなのだが、やはり私は「好きだから」を付与されたことによる「してやられた感」がどうしても拭えないのだ。まあ、そもそも悪かったのは100%私なので何も言えないのですが。

「貴方のことが嫌いになりました!なのでさようなら!」と言ってブロックをしても、何も言わずにブロックしても、ブロックをしたという結果には何も変わりはない上に、二度と話すことがないのも一緒なのだから、どうせなら私はそんな護身術を使わずに話して終わりにしてほしかったな・・・と今でもぼんやり考える時がある。

生き残りしフォロワーを大切に

それからと言うもの、SNSでの在り方について見直した。それでもってあの彼氏ともすぐに別れた。

SNSというのは「やらなくてもいいもの」の一つだ。やらなくてもいいけど、やったほうがQOLが上がるからやっていたり、何か理由があるからやっているのだ。わざわざストレスを溜めるためにやるものではないと思っている(結構そういう人もいるけど)。

だからこそ、自分の存在が相手にとって気持ちの良いものであってほしいな、とい考えを持つようにもなった。不快と思われて嬉しいはずはないのだ。

あの時独りよがりで、好き勝手呟いて、恐らく不快な思いもしたであろうフォロワー達、それでも現在私と仲良くしてくれている彼女たちを私は大切に生きていこうと誓ったのである。SNSはやめられない。やめられない上で、大切なことに気が付かせてくれたSに、「好きだけど」護身術に関してのモヤリは除いて、感謝を伝えたい。ありがとう。

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