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「ナイキジャパンのPR動画騒動について」作家の甘糟りり子さんコラム

アラフォーでランニングを始めてフルマラソン完走の経験を持ち、ゴルフ、テニス、ヨガ、筋トレまで嗜む、大のスポーツ好きにして“雑食系”を自負する作家の甘糟りり子さんによる連載「甘糟りり子のカサノバ日記」。

新記事を公開しました。

今回は、ナイキジャパンのPR動画騒動について。

12月10日でYouTube再生回数は110万を超えています。高評価(GOOD)が8.9万に対して、低評価(BAD)が6.8万もついているのに驚きます。

批判的な意見はだいたい「日本人が差別していると決めつけている」とか「世界に日本の恥を宣伝しているようなもの」とか「まるで日本中に差別がはびこっているようではないか」というのです。

正直いって、まだまだ日本に人種差別ありますよね。残念ながら。昭和に比べたらほんの少しはグローバルになったのかもしれませんが、やっぱり「日本人ではない」人たちに対してネガティヴな感情を抱く人が少なくない。それも、同じアジアの国の人たちへの。

みんなの考え方にもっと柔軟さがあってもいい

「日本」ひいては「人種」について語る人も多いですが、この動画では女子でサッカーというところも、ナイキからのメッセージかもしれないと考える甘糟さん。

「みんなに好かれなくちゃいけないの?」
「我慢しなくちゃいけないの?」

動画内のこれらの言葉からは、「周りがこうだからこう」という価値観からいったん離れて「自分の軸を持つ」、自分を含めて周りを広く見渡して見てみないかというメッセージを受け取りました。

学校や職場など、いわるゆ箱(コミュニティ)の中にいると、箱(コミュニティ)の中で起きた出来事がすべてで、人生を覆ってしまいがちです。でも箱の外はあるし、出ることも可能でしょう。

自分も他人もOKでどちらも正しい

炎上することでさまざまな視点からの意見を知ることができますが、自分の考えや価値観だけに固執しているうちは、反対意見は耳に入りません。

相手の考えや意見を無理にとり入れる必要はないのですが、いったん「受け止める」「聞く」「それについて考える」をしないと、懐中電灯で前方を照らしたような視野でしか物事が見えなくなるのではないかなぁと思うのです。懐中電灯もいいですが、部屋の明かりをつけたいのです。

ちなみに甘糟さん、以下の記事でも多様性について書かれています。

トレーニング中に言われて印象的だった一言があります。たくましい脚がコンプレックスの私が、これ以上脚に筋肉をつけたくないというと、「大きさに美しさがあるんですよ」。

多様性という言葉を人々が口にするようになった昨今、細いばかりが「スタイルがいい」わけではないのかもしれません。もっとそれを知ろうとしなくちゃね。

こちらも。

アメリカでは、芸能人もスポーツ選手も世の中に関してはっきり意見を言うケースが多い。政治に関しても、セクシャリティに関しても、自分のスタンスを明らかにしますよね。なんでもかんでも欧米に習うのはかっこ悪いですが、この点に関しては素直にいいなあと思います。

日本のスポーツ選手ってこういう「声」を持っている人が少なすぎる。ちょっとでも自分の競技以外のことを話すとすぐやいやい言われますから、とりあえず黙っておこう、肝心の勝負の時に集中できなくなってしまうし、と考えるのも仕方がないのかもしれない。なんて、受け取る側もすぐにあきらめてはいけないですね。

こうしていろいろな人がいろいろな意見を述べる社会が多様性なのかなと思います。そんな社会で心地よく生きるためには、自分も相手も「アリ」というOK思考が、より一層求められているのではないでしょうか。

考え方に正解はなくて、自分の考えの正当性を信じているから相手を否定して争うし、不快な思いをするし、難しいんですよね。

<おわり>

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