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ドンキーコング裁判とカービィの誕生(The Bigbang Theory×経営学)

今日の題材はビッグバンセオリーのシーズン8/エピソード7で登場したドンキーコングのアーケードゲームについて。

このエピソードでは泌尿器科医のローヴィス先生の家の地下にあるドンキーコングのアーケードゲームをレナード・シェルドン・ハワード・ラージが夢中になって遊んでいる姿が描かれていました。

任天堂のキャラクターと言えばマリオですが、1980年代当時はマリオはドンキーコングのアーケードゲームに登場する名前のないキャラクターでした。今回は現在の任天堂の土台を築いたともいえる、1981年に発売されたドンキーコングのアーケードゲームの登場とそれに伴う裁判について書いていきます。

1970年代-1980年代前半のアメリカのゲーム市場はアーケードゲーム、現在のゲームセンターにあるようなゲームによって占有されていました。家庭用ゲーム機の先駆けであるATARI社のATARI 2600も1977年にアメリカ発売だったのでそれ以前とそれ以降のある一定期間はゲームをやるならゲームセンターが当たり前となってました。

1978年に発売されたアーケードゲームのスペースインベーダーはアメリカでも大きなヒットとなり、ゲーム市場におけるアーケードゲームの存在感は大きくなる一方でした。

そこに目を付けたのは日本のゲーム会社である任天堂。当時の任天堂は今のような巨大ゲーム会社ではなく、花札で創業したおもちゃメーカーのような立ち位置をとっていました。

アーケードゲーム市場にチャンスを見出した任天堂はSPACE FIREBIRDやRADAR SCOPEといったアーケードゲームを発売します。

RADAR SCOPEはスペースインベーダーのようなシューティングゲームで、スペースインベーダーでゲーマーが白熱していた当時、任天堂はアメリカにRADAR SCOPEのアーケードゲーム本体を大量に輸出しました。

しかし、任天堂がアメリカ国内の倉庫に保管、ゲームセンターにいざ販売しようとした時には、スペースインベーダーと類似したゲームが多く市場に供給されており、全く新しいゲームがアメリカ国内では求められていました。

頭を抱えた任天堂はあることを閃きます。RADAR SCOPEのアーケードゲーム機本体の画面やボタンはそのままにしながら、搭載するソフトを変えることを決定するのです。

そこで搭載されたソフトがドンキーコングというわけです。これまでのシューティングゲームとは異なり、ドンキーコングではゴリラが女性を連れ去ってそれを主人公(後のマリオ)が救出するというものになっていました。

全く新しいゲームスタイルであったドンキーコングはアメリカのゲーマーの人気を一気に惹きつけ大成功をおさめますが、任天堂は新しい問題に直面します。

1982年にアメリカの大手映画会社であるユニバーサル・シティ・スタジオにドンキーコングは「キングコング」の商標権の侵害をしているとして任天堂を訴えたのです。

ユニバーサル・シティ・スタジオは任天堂に対し、商標権の侵害により生じた損害を補填すべきだと要求しました。

任天堂はこの要求に対し、代理弁護士としてペプシコやファイザーなどの大きな訴訟でも勝訴経験のあるジョン・カービィを雇います。

彼はドンキーコングのゲームデザイナーであった宮本茂氏や任天堂の社長からの聞き取り調査より、ドンキーコングの「コング」は「キングコング」からとったものではなく、大型猿人類の総称として「コング」を付けたと聞かされます。

実際に日本で調査をしたところ、日本では大型猿人類の総称もしくはゴリラの英名として「コング」が多く用いられていることを発見します。例えばボクシングジムやプロレス選手の名前など。

これらの証拠をもとにユニバーサル・シティ・スタジオが侵害されたと主張している「コング」という名称は任天堂の「ドンキーコング」と全く関係性のなく、混同する名称同士ではないと判断が下され、アメリカの巨大メディアと参入間もない任天堂の裁判は任天堂の勝利となります。

任天堂にとって大きな損害になりかねなかったこの裁判を戦い抜いてくれたジョン・カービィ弁護士には任天堂から感謝の印として「ドンキーコング」と名付けられた3万ドルのヨットが送られました。

ところで「カービィ」という名前に聞き覚えありませんか?

そう、任天堂のカービィというキャラクターはゲームデザイナーの宮本茂氏が名付けたものですが、それは名前候補のリストの中にカービィがあり、それを見てジョン・カービィ弁護士とのつながりを感じ選んだものだそうです。宮本氏はインタビューの質問に次のように答えています。

I’ve heard rumors that Kirby was named after attorney John Kirby, the lawyer who defended Nintendo in a lawsuit by Universal during the 80s. Is it true?
Yes, it is a fact that I met John Kirby and got to know him when he was defending us during the lawsuit against Universal. And it is a fact that the Kirby name was partially chosen in connection to him, but it wasn’t named after him. Instead, we had a list of names that we were looking at and Kirby was one of the names on the list. As we were going through the list and narrowing down the selections we saw that Kirby was there and we thought John Kirby’s name is Kirby, and started thinking that if those two had a connection that would be kind of funny. (gameinformer, 2011)

ユニバーサル・シティ・スタジオによる訴訟はドンキーコングが当時どのくらいアメリカで流行していたのかを明示していますが、ジョン・カービィ弁護士による勝利がなければ、ドンキーコング・カービィといったキャラクター、さらには巨大ゲーム会社としての任天堂はなかったかもしれません。

アーケードゲームの歴史を含めてゲーム業界の遷移についてより詳しく知りたい方はNetflixの「ハイスコア:ゲーム黄金時代」というドキュメンタリーがおすすめです。


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