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妬みの感情とうまく付き合っていくこと

みなさん、人を妬むことは多いですか。
ネット上では成功者や人気のある人を妬む声がよく聞こえてきます。

素直に「うらやましい」と言えればいいものですが、相手の人格を否定したり功績に難癖をつけたりしている様は、あまり他の人から見て気分のいいものではないですよね。

さらに恐ろしいのは、相手に対する不快感が嫉妬からくるものであるという自覚がなく、自分の主観を客観的事実だと信じ込んで、不当に過小評価したり、嫌なやつだと決めつけたりしてしまうパターンです。

これは本当に危険で、なかなか自分では気がつけないものです。
本人も相手も周囲も不幸になります。

才能だとか環境だとか、自分のもっていないものを相手が持っているから自分は負けているんだ、だから相手はずるいんだ、という考えは、自分に至らぬ点がある責任を相手に押し付けていることに他なりません。必要な努力をサボるための口実を相手に求めてしまっているのです。

この状態に陥ってしまうと自分の問題点を探さなくなってしまうので、いつまでたっても状況がよくなりません。その間も相手は正当な努力によって成長して先に進むので、どんどん差は開く一方です。

努力しない口実を相手に求めていると、相手のことを嫌っていながらも無意識下では依存してしまう危険性があります。

ずるいと思っている相手がいなくなってしまえば、相手以上に嫌いな自分自身の無力さと再び向き合わなくてはならなくなるため、嫌いな相手の様子をわざわざ確認しにいってわざわざ嫌なところを探し、怒りの声をあげてしまう。とても不幸なことです。

ただそれは、理想と現実との乖離に苦しむ人たちの悲鳴でもあります。
はた迷惑な話だと断ずるのではなく、妬む者もまた苦しんでいるということ、自身も時としてそのような立場になりうることを考えていきたいと思います。

自分の嫉妬心をただ闇雲に否定しても、前述のように無意識の世界に閉じ込めてしまったり、歪んだ形で発露してしまう恐れがあります。

欲を捨てて現状を受け入れろ、という考え方もありますが、私はどちらかといえばそれには否定的です。
欲こそが生物を成長・進化させる原動力だと思います。
満たされない思いがあるからこそ、それを見たそうと現状から前に踏み出せるのです。

特定の誰かに負けている現状が悔しい、という気持ちそのものは向上心につながるので、決して悪いことではないでしょう。
それを前向きな努力へと転換していく過程で、どうしても耐え難い痛みや苦しみを伴う時もあるということですね。

その痛みからなるべく早く向上心へと切り替えていくことができれば、それが最善だと思います。そのために私が考えていることを書いていきたいと思います。

すべてのケースに対応できるような万能のものではありませんが、一例としての考察です。

目標を大きくする

そもそも妬みの対象となる相手の条件とはどのようなものでしょうか。
欲しいものを手に入れてる人とか、自分がやりたくてもできないことをやってる人、自分より成功してる人などを考えるかと思います。

しかし実際は『上記のような人物で、なおかつ自分と比較しやすい人』に絞り込まれるケースが多いのではないでしょうか。

例えばサッカーをやっている小学生で、メッシやネイマールなどの世界的トッププレイヤーたちに強い嫉妬心を抱いている、という人はほとんどいないと思います。彼らにとって世界のトッププレイヤーたちはどちらかといえば、憧れや敬意を持って目標とするような存在でしょう。

なぜならそれは、はじめから自分と対象との距離が遠すぎるからです。
普段会うことはなく、現状直接競い合う相手でもなく、年齢も全然違っていて、条件もレベルもかけ離れているーー比較する必要性、取り急いで勝つ必要性が全くない相手だからです。

逆に言えば、ある程度関わりのある相手だったり、同世代もしくは年下だったり、近い条件下で競い合うことがある相手などが妬みの対象になりやすいということです。

同じステージで戦っていたのに、相手だけが評価される、結果を出す、次のステージへ進む、といった状況が、最も妬みにつながりやすいのではないでしょうか。

そうだとすれば、嫉妬している相手は、自分自身とそこまで大きな差はない、ほんの少しだけ先を行っている相手に過ぎないと考えることができます。

自分の追い求めている理想のゴールから見れば、その相手もまだまだ道半ばということになります。

特定の誰かではなく、自分の理想のゴールこそが本来追いかけるべきものです。

目先の小さな優位をゴールにせず、目標を大きく持てば、現在嫉妬している相手よりもさらに先を行く存在に目を向けることになります。

世界一を目指せば、見るべきは世界のトッププレイヤーたちです。

そして遥か遠くにいる彼らに対しては、前述の通り嫉妬よりも敬意を持って見つめることができるでしょう。前向きな努力がしやすくなるかと思います。

そもそも向かっている目標は多少なり人それぞれ異なるものなので、途中で道が別れて比較対象から外れていくことも多いでしょう。自分自身のゴールに向かって諦めずに進み続けることが大切ですね。

協力関係になってしまう

もしくは、嫉妬する相手の存在をより自分のプラスに転換する建設的な考え方もあります。
敵対するより仲良くする方がいいということです。

ただこれは言うは易く行うは難し、色眼鏡を外して相手の素晴らしさを素直に認める必要があります。
相手のことを嫌なやつだと思ったままでそれをするのは困難だからです。
相手に抱く怒りや不満を冷静に制御しなくてはならないやり方です。瞬間的な苦痛はかなり大きいかもしれません。

しかしうまくいけば自身にとっていい結果を生むので、挑戦する価値は十分にあるかと思います。

せめて妬みによって相手の評価を歪めてしまっている可能性がありうることを自覚するだけでも少しは違うでしょう。

相手は何らかの形で自分よりうまくやっている人です。
それが本当に環境のせいか運のせいか、学べることがひとつもないか、考え直してみる必要があります。

相手との関係性にもよりますが、『どうやって成功したのか聞いてみる』『技術を教えてもらう』などといった選択肢があります。参考になるかもしれません。

参考にできない相手でも、その実力や評判を借りられる可能性があります。『相手と一緒に仕事をする』ということですね。

絵描きの世界で言えば、一緒にグループ展をするなどでしょうか。交渉能力が絡むかもしれませんが、双方にメリットが見出だせればとてもすばらしいですね。

あるいは情報発信などで相互協力するとか、ほかにも色々メリットはあると思います。

「昔は自分と同じくらいのレベルで身近にいたのに、相手だけがどんどん成長していってしまった」などのパターンでは、相手のことをよく知っている分どこまで差がついても自分との比較ができてしまうため、さきほどの『遠く離れた相手には嫉妬しにくい』に当てはまらない場合があります。

しかしそのような場合にこそ、この『味方にしてしまう』作戦は有効ですね。節度と礼節をもって振る舞えれば、旧知の縁などがある分、無関係の人より協力を得られる期待値が高いかもしれません。

おわりに

いかがでしたでしょうか。今回挙げた考え方でも、どうしようもない場合もあるかもしれません。

生まれてきた境遇の差などは、たしかに理不尽で悔しいものです。私だって出来ることならカタールの王族とかに生まれたかったです。

しかしながら人生はスマホゲーのようにリセマラすることはできませんし、「ハズレの人生引いたから」といって簡単に諦められることばかりではないでしょう。

今、この人生で、なにがなんでも成し遂げたい。

そういう本気の物事に対しては、妬みの感情が発生することも致し方ないというものでしょう。それだけ求める気持ちが強ければ、願いを叶えようとする力も強いということになります。

あとはその力を正しい方向に向けられれば、必ずや状況は好転するでしょう。

成功する確率が少しでも上がるよう、努力と工夫をし続けていくのみですね。

皆様それぞれの願いが叶いますように。

どうもありがとうございました。

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