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試される自分の不安

テレビのインタビュー番組で、定年で引退した裁判官が話している。
裁判官という立場は大変孤独で、人の命運を差配する重い責任感に
これまでに何回も押しつぶされそうになったと伏し目がちに語った。
全く意外なことで、裁判官のイメージがガラッと変わった。
証拠物件が乏しく、状況証拠だけで殺人事件の判決を言い渡さなくては
ならないこともある。
真実を知っているのは、目の前の容疑者本人だけで、
その容疑者に下す判決が正しいかどうか
逆に裁かれるような重圧感があったと言うのである。
 
独裁者プーチンは一緒に国家運営に責任を持つ者がなく、
周囲の甘言にまみれてウクライナに軽い気持ちで侵攻して
想定外の反攻に頭を抱えている。
見えない現実の前で更なる判断を試されて
さぞや孤独な日々を過ごしていることだろう。
 
習近平はとうとう異例の三期目、国家主席の座を勝ち取って
自信たっぷりかといえば、内心は戦々恐々という見方がある。
それが証拠に、全人代の会議でデスクの上に二つの茶碗を置いている。
これは、縁起が良い偶数で、両の茶碗には生涯権力の座にある
という言葉の由来にすがり付いている。
単なる験担ぎ、やはり試される身で先への不安に慄いているのである。
 
友人と焼き肉屋に入ってビールで乾杯してから網に肉を並べた。
牛タンを頬張りながら友人が「うまいなあ」と言ってから、
「この牛タンに不味いと言われたらどうしよう」と笑った。
その時は意味が解らず、お愛想笑いで誤魔化したが、
別れた後で可笑しさがジワっとやってきた。
第一級のジョークだと思う。
 

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