「空」はNothingか
新入社員歓迎会でのこと、かれこれもう50年も昔の話である。
隣の席の大先輩が、社会人としての心構えをとくとくと諭してくれた。
杯を重ねるうち、顔色が赤から青みになってきて
話の様子が変わってきた。
「人間なんてよ、所詮、実体のない空っぽ、無なんだよ」
と怪しいろれつで言い出した。
どうせ「空」なんだから悩むことはない、
楽しく生きろよという結論だったらしいが、
どうもいきなりサラリーマンの悲哀を
もろに浴びせられたような気がした。
この大先輩は般若心経の色即是空を語っていたのだろう。
「色」すなわち物や事のことで、そもそも実体のない
「空」であるという。何もない「無」を別名「空」とするというと、
ちょっと違う気がする。
空室、空箱、空き地、空席などの状態をみると、
空きを満たすための空間が存在する、有るとなる。
「空」は確かに「無」でもあり、「有」でもあることを意味している。
空気だって何も無いのではなく、窒素や酸素や二酸化炭素が
みっちりと詰まって有るといえる。
No Vacancyのモーテルは空室が無いが、一人出て行けば
空きが有るとなる。
縦・横・奥行きの空間を三次元という。
面白いのはゼロ次元の点と一次元の線で、位置や長さはあるけど
点や線を描けない。
点や線を表せば、どんなに小さい点でもどんなに細い線でも
面積があって二次元になってしまう。有るけど無いのである。
何も無いが、縁起という関係は有ることを「空」とすると、
関係があるから存在するとなる。
西欧の唯物論では逆で、存在するから関係があるということになる。
私という存在はこの世という存在の中に生まれ出たのではなく、
私という存在があるのでこの世が存在しているともいえる。
今や80億人がこの世に生きている。
それぞれが二つとない尊い「空」の存在であるといえないか。