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見下しの当て字
父母が庭に池を掘るというので手伝いをした。
子供の腰あたりだから80センチ程の深さまで掘った。
盛り上げた土の山は1メートルにもなった。
遠い昔のただただ辛かった日の思い出である。
埼玉県行田にある古墳群の桜と菜の花がきれいだと聞いて
出掛けてみた。
古墳時代というと弥生時代の後だから未開のイメージがあったが
古墳に登ってみて、その巨大さに驚き、
とんでもない権力構造があったことを実感した。
古墳の周りは土を盛り上げるために掘った跡の堀が巡っている。
どれだけの人々がこの山に積み上げたのか、
さぞや辛かったに違いない。
そこに眠る王の栄光よりも辛い使役に携わった人々に同情した。
魏志倭人伝が当時の日本の様子を伝えている。
統率されたそれなりの国家が形成されていたらしい。
それにしても、当時の巨大国家が我が名を名乗る小国に
わざわざ卑しい漢字を当てて呼び直すあたりが小憎らしい。
和の国といえば、倭の国と記し、
大和の国といえば、邪馬台国と記し、
日の巫女といえば、卑弥呼と記した。
不思議でならない事は、バカにして当て字で表記された呼称を
我が国の正史としてそのまま使っていることだ。