
瞼の下の赤いソレイユ
草木の湿った香りの心地よい風に纏われながら
郵便受けに朝刊を取りに行く。
朝日が顔に当たる、眩しさに目を瞑り、しばらく温かみを味わう。
今、太陽と私の間には何もない。
1億4960万キロメートルという距離、掛け値なしの素通しだ。
カッチンと一秒間に地球を7回半も回る光速でも8分19秒も掛かる距離。
と云うことは8分19秒も前の過去の光を浴びている。
神秘的な感動を覚える。
誰が計算したのか、歩いてゆくと4000年、新幹線ひかりで行くと100年
秒速10kmの最新ロケットでも半年も掛かるという。
瞼を通した赤い光を感じているとやっぱり浮かんでくるのは
ご来光という言葉だ。
祖母のヒデさんは、縁側にペッタリと正座して
東に向かいお日様に手を合わせ、
何やらモゴモゴと唱えていた。
太陽はありがたい祈りの対象であった。
太陽を神と崇めた文明は古代から世界中にある。
ギリシャのアポロもエジプトのラーもローマのソルもインドのスーリアも
マヤのキニチ・アハウ、仏教の大日如来。
そして天皇の血筋の大元の天照大御神である。
目の前の色とりどりの花々も瑞々しい葉っぱも竹の垣根も庭石たちも
光があってこそ見えている。
その光の元はあの太陽なのだと当たり前のことに感動してしまった。