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永遠の時
もう随分前に亡くなった先輩の一言が時々思い出される。
お酒が入ってどんよりして会話が途切れた時にふいにその言葉を漏らした。
「永遠の時間を想うとね、気が遠くなるんだよ」
自分の寿命と何億年か先を比べて途方もない時空の拡がりに
おののいていたのだろうか。
ギリシア神話でゼウスの父クロノスは、時計のクロックや
年代記クロニクル、または、タイミングが合うというシンクロなどの
語源となった。
クロノスは子に権力を奪われるという予言を怖れて生まれてくる子を
次々と呑み込んでしまう。
このおぞましいエピソードから、産まれ出る現実を片っ端から過去に
呑み込む「時間」と着想したのだろうか、
クロノスは時の神と呼ばれている。
時間はあるのか、ないのか、物理学や哲学で古くから取り組まれた
テーマである。
アインシュタインは宇宙船で旅すると時間が縮むという驚きの
相対性理論を表わした。
その理論は、竜宮城に行った浦島太郎が3年後、元の浜に戻ると300年過ぎていたという話と酷似している。
ただ、この理論の前提は移動する宇宙船の速度は光の速さということで
秒速30万キロメートルの乗り物などできる訳もなく、
おとぎ話の域を出ない。
電車に乗って窓から外の景色を眺めている時、外の景色は動いてないのに、流れ去るように見える。時間は動かない景色で、動いているのは、
電車であり、見ている自分である。
昨日、今日と過ぎているのは自分であって時間ではない。
時計で刻々と自分の生活を計っているだけで
時間は流れていないし、存在もしていない。