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言葉の音楽
旧い友人から久し振りのメールが来て
近況と共に映画のお薦めがあった。
それはニュージャージー・パターソンという
街が舞台で、落ち着いた風景の中を主人公が
運転するバスがゆったりと走る。
主人公は詩人だがそれを名乗ることはなく、
問われてもバスの運転手だと答えている。
時刻表に合わせた単調な日々が淡々と巡り、
事件と言えばバスが故障して立ち往生すること、
妻が作ったパンケーキがバザーで売れて286ドルも
儲かったこと、
飼い犬が主人公の大切な詩作のノートを
咬み散らかした事くらいだ。
書き留めた詩作が細々になって失意の場面で
通りすがりの日本人との出会いがあって、
自分がこのパターソンという地で詩作を続けている
意味を思い知らされた。
対話の中で出た日本の詩人の言葉が秀逸だ。
「詩の翻訳には限界があって、それはまるでレインコートを
着てシャワーを浴びるようなものだ」
主人公がコツコツと書き留めた詩作が愛犬のいたずらで
アルファベットの破片に帰した訳だが、このシーンが
記憶の釣り針となって寸言を釣り上げてくれた。
「詩は、言葉で奏でる音楽だ」