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丘の上のバカ
中学生で英語を習い始めて早々にフールの意味を知って
友だち達と指差し合いながら「お前、フール!」とじゃれ合った。
ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」という歌が
お洒落なサウンドで好きだったが、そのフールとは気付かずにきた。
「丘のうえのバカ」とはガリレオのことじゃないかという記述を
ネットで拾って、そうだったのかと高ぶりを覚えた。
我ら地球を中心に星々が廻っているという天動説が当たり前の
世間に向かって「俺たちの方が廻ってんじゃないの?」
と呟いたコペルニクスの言い分を、「そうだ、そうだ地動説だ!」
と騒いだガリレオは、みんなからバカ呼ばわりされた。
「絶対に地球の方が太陽の周りを廻っているんだ!」と
丘の上で夜空に腕を振り上げる真実一路型バカの歌だった。
鹿を馬だと言い張ったので「馬鹿」と蔑まれたという中国の故事から
バカが生まれたが、実は「丘のうえのバカ」同様、
新種の馬だったのかもしれない。
「雨にも負けず、風にも負けず・・・」の宮沢賢治は、
自分を二の次にして、いつもひと様の為に西に東に出向き、
立ち働いて、それを自らの幸せとする献身型バカを理想像にしていた。
ビギンの「笑顔のまんま」という歌に出てくるのは、
悲しくても辛くてもいつもニコニコしていて、
「生きてるだけで丸儲け、なるようになるし、その時はその時さ」
と口癖のようにしている達観型のバカ。
賢い人達が世界を動かしてくれていると信じたいが、その実は
環境汚染、自然破壊、紛争、戦争が21世紀になっても無くならない。
真実に生き、ひと様のために生き、ニコニコと達観する生き方を
バカと云うなら、みんなでバカになってやり直したらどうか。