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選択の自由
仏教では六道輪廻で生まれ変わりの仕組みを説いている。
罪の罰を受け飢餓に苦しむ地獄道
止めどない欲に苛まれる餓鬼道
弱肉強食の畜生道
怒りと戦いに明け暮れる阿修羅道
ひたすら快楽に浸る天上道
そして我が人間道
人間道は特別で、怒りや妬みや我欲の煩悩から抜けられれば
六道の循環から解脱して、いよいよ極楽に往けるチャンスがあるという。
ただし、この六道の中で唯一、選択する自由が課されている。
旧約聖書で神は天使と獣を造り、最後にアダムとイブを造ったとした。
天使は善にのみ生き、獣は決められた本能の下にのみ生きる。
線路を走るような一本道なら迷いなく、振り返ることも、後悔もないが
人間にだけは、選択する二股の道を幾重にも用意した。
善を行うも悪を行うも自由で、その人生が試されている。
これは特権なのか試練なのか、はたまた只の重荷なのか。
右に行くか、左に行くか? それを食べるか、食べないか?
赤か白か、どっちを纏うか?南に住むか、北に住むか?
この複雑に絡み合った日常で、二者択一に思い迷うのが我が身。
生きるか死ぬかの選択まで託されて、どう生きればいいのだろうか。
この選択の自由を特別な計らいと受け止めて、精一杯迷い生きるのが
解脱、極楽への道なのだと胸に納めてみる。