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春になれば・・・

春になればきっと・・・きっと幸せになれると
信じさせて・・・

    「春になれば」作詞・作曲:岩切みきよし


岩切みきよしさんが旅立った。
あまりに突然だった・・・


「ちょっと入院してくるよ」

ー 帰ってきたら新曲をバンバン仕上げていきましょう ー

「お~やろうやろう」

それなのに・・・


岩切さんと初めて会ったのは彼がデビューした年、
今から40年ほど前。

オレが「MONMON'S」って言うバンドでポプコン九州大会に出場した時。
たまたま岩切さんが会場に来てて、楽屋でお話したのが最初だったと思う。

その後、中洲のマックで偶然会ったりした。

「お~ベースのあんちゃん」

と呼んでくれた。まだ名前は覚えてくれてなかった。

ー コンサートとかやる時は手伝いますよ。
オレ、最近アレンジも始めたので ー

「お~ なんかあったら頼むわ」


で、それから1ヶ月もしないうちにウチに来ることになった。

当時住んでたアパートは場所が分かりづらかったので
大通りまで出て岩切さんを待っていた。

すると宇佐高校の後輩でウチのすぐ近くに住んでた上田君が歩いてきて

「なに待ってるんですか?」

ー 岩切みきよしさんっていう人を待ってる ー

「え~ あの歌手の岩切さんですか?」

ー そうよ ー

「スゲ~ 有名人と知り合いなんですね」

そうか。上田でも知ってるくらい岩切さんって有名なのか
そしてオレもたいしたもんだ。

で、岩切さんがやってきた。部屋に入るなり

「サトウ君、大学ノートか画用紙ある?」

ー 歌詞書いたりするノートならありますけど ー

「まあそれでもいいや。持って来て」

ー 何するんですか? ー

「せっかくだからサインしてやる」

で、書いてくれたのがコレ・・・



その日はライブの打ち合わせをして、新曲を2曲
オレにアレンジさせてくれるという。

それまで友だちの曲をデモテープのレベルで
アレンジしたことはあったけど
プロの人のアレンジするのは初めて。

気合い入れてやったのを覚えてる。
しかし気合いだけでは・・・我ながらう〜ん、な出来だった・・・

バンドのギター辻さんにも

「最初、譜面見た時は、なんだこれ。変なアレンジだなあ。
と思ったけど、何曲かやるうちにだんだん上手くなったね」

って言ってもらいました。


それから40年
ライブのたびにアレンジ&演奏で参加したり
アルバム何枚も作ったり、手がけたアレンジは
100曲は軽く越えている。

もちろんオレの音楽人生で
ここまで沢山やったのは岩切さんしかいない。

岩切さんの曲をアレンジしながら成長させてもらった。

レコーディング技術にしても新規の機材を導入した時は
なぜか岩切さんの仕事が多かった。

説明書と首っ引きで
 ー え〜っと、ちょっと待ってくださいね。これはこうで〜 ー
とか言いながら制作してた。


岩切さんがやってたラジオ番組にも出させてもらったり
依頼された地域のイメージソングもたくさん作った。

なによりも、コンサートで九州各地を旅させてもらった。
福岡県はもとより、佐賀、長崎、熊本、宮崎、鹿児島
とても数え切れないほど。

どこに行っても楽しかった。
打ち上げで地元の人と話をするのも面白かったし
その土地の名所旧跡を訪ねるのも楽しかった。

そう言えば、オレの結婚式で故郷の宇佐にも来てもらった。
なんと司会と歌もお願いした。



「オレ癌のステージ4なんよ」

いまから半年ほど前にいきなり言った。

ー エッ ー

「自覚症状はないっちゃけど、マズイらしい」

いつもの調子で飄々と重いことを言う。


「ライブとかも出来る時にどんどんやらんとね」

ー そうですよ、新曲もあるなら録音しますよ ー

「お~ いっぱい作ったのがあるよ・・・20曲くらいかな」

ー じゃあ1度には無理でしょうから、何回かに分けて ー

「よし! じゃあ次回までに用意しておくよ」

で、5回ほどに分けて岩切さんの歌とギターを録音した。



ー 岩切さん、もし良かったらオレの作った歌もいいですか? ー

「いいよ~」

ー 月映えロマン って言う戦後歌謡みたいな古いやつで
  岩切さんの「我らの春日原」のテイストです。 ー

「お~ 面白いね~ 良いやんこれ」

ー 出来れば映像も撮ってYoutubeに上げたいんですけど ー

「じゃあ次回、衣装を持ってくるよ。蝶ネクタイとかが合うなあ」

ー 良いですね。 東海林太郎みたいで ー



この撮影はオレのイメージ通りに行かずに結局3回やり直した。
でも、岩切さんは嫌な顔もせず付き合ってくれた。


肝心な岩切さんの新曲の方は、30曲ほどにもなった。

「これくらい録音しておけば大丈夫だろう」

ー ですよね。 PVにも出来るように何曲かは撮影もしましたしね ー

「あとは頼むよ」

ー 少しずつ暇を見つけてアレンジしていきますよ ー


後日、Telがあり

「クリスマスイブに大きなコンサートをやることになったんで
この前の曲の中から6曲ほど急いでアレンジしてくれんかいな」

ー それはまた急ですね。
  今、福岡大学の同窓会ライブのDVDも大幅に遅れてて
  大急ぎなんですよ。 う~んアレンジ間に合うかな ー

「とにかく頼むよ」

で、まず「君が生まれた町」って曲を仕上げて聞いてもらいました。

「お~ 良いやん。イメージ通りよ!さすが」

ってほめてくれました。


大分弁で「おだつ」っと(のせられると)調子にのるタイプなので
無事に6曲、納品しました。


「サトウ君のおかげでライブのイメージが出来たよ。これで安心」

ー お役に立ててよかったです。同窓会ライブのDVDが遅れてるので
   コンサートは見に行けませんが成功を祈ってます ー

「チケット売るのが大変だけどね」


見に行った人に聞いたところ、コンサートは大成功で、とてもよかった!
って言ってました。「サトウ君のこともトークでしゃべってたよ」
とも聞きました。ふう~よかった。



「ちょっと入院してくるよ。まあすぐに退院出来ると思うけど」

ー 帰ってきたら新曲をバンバン仕上げていきましょう ー

「お~やろうやろう。ASKA君が月映ロマンを気に入ってて
またあんなのを作ってよ、って言われたよ」

ー じゃあ、あの感じでまたやりますか ー

「やろう! そう言えば、サトウ君のファンの人と会いましたよ。
NSPの大ファンらしく、YouTubeで見たら本当にNSPを
そっくりに演奏し歌っているサトウさんという人がいてファンになった。
会いたいと言ってたので、僕の友達と言ったらビックリしてました。
長渕、ASKAに続き、友達自慢の1人に入りましたよ~」


これがラストのやり取り・・・

でもね、オレはまだまだ岩切さんと繋がっているのよ。
決してお別れなんかではない。

そう!たくさんの歌達が、岩切さんの置いていった宝物がウチにはある。
これを世に出すまでは岩切さんはオレの中で生き続けてる。

もうあわてることはないよね、岩切さん・・・
1曲ずつ 1曲ずつ・・ゆっくりやりますよ。
その方が永く一緒に音楽出来るしね。



春になればきっと・・・きっと幸せになれると
信じさせて・・・



春になれば
https://youtu.be/h_3jmsfezLE

あの素晴らしい愛をもう一度
https://youtu.be/dMqrHDnsw78

君が拓いた道
https://youtu.be/eqJwCdcNzMs

小さな夢の向こう
https://youtu.be/UcgKmBzA8FY

バースデイ
https://youtu.be/x48nSHfaVBc

月映ロマン
https://youtu.be/WQCchskyM60

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