婚活回想記㉕ 〜傲慢な気持ちは悪なのか?傲慢な気持ちも大事な本心なのでないか〜
先日、辻村深月さんの
「傲慢と善良」を読んだ。
自分と重なる部分があったし
自分とは別の視点も描かれていた。
婚活していた頃のことを
思い出した。
婚活を通して
良いなと感じた相手ほど
お断りをされる。
お断り連絡を聞いたときや
連絡メールを見たとき、の
喪失感と無気力感。
そして私の何がいけなかったのか、と
自己反省と自己否定。
お見合いして
仮交際して何度かデートしても
結局この人ではないような、感じ。
仮交際しても
いい感じになっても
いつお断りされるのでは…と
不安と隣り合わせの交際。
結局、選ばれないことで
泣いたこともあった。
その繰り返し。
ずーっと。
お見合いして仮交際して
お見合いして仮交際して…
とにかく出口のない迷路。
婚活で数え切れないほどの
感じた苦しい気持ちや
やるせない気持ちとか
漠然と
でも
ずっしりと
心にあった、
突き刺さっていた、
出来事や感情が
久しぶりに
出てきた。
婚活していると
心の底には
自分が感じている
傲慢で勝手な面が見えてくる。
(婚活のときに感じた私の傲慢な思いはまた別の機会で書きたい)
その本心、本音に沿っていると
婚活は進展せず
結婚ももちろん遠くなる。
しかし
傲慢な気持ちに蓋をして進むと
自分の本心が見えなくなるし、
分からなくなる。
傲慢な気持ちこそ
人間の本心なのではないか。
私が私であるという人間らしさが
表れている部分なのではないか。
そこには育ってきた環境や
置かれた立場
それによって
多少偏った価値観になることもある。
人間は
自分の価値観の中で
残酷で、
身勝手で
ときに
冷酷な感情を持つ。
そのいわゆる(ここで言う)
傲慢な気持ちと
常識的で
表向きに見せる
善良の気持ち、との間で
苦しんで
もがいて
葛藤している。
婚活に限らず
仕事でもかな。
人は皆
善良と傲慢の面を持っている。
きれいごとだけでは
表せない
感情だってある。
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