謙遜は美しくない
「え〜そんなことないですよ〜」そんな風に否定したらしたで「本気で否定していない癖に」とか思われるだけ。そのやり取り、総じて美しいだろうか?
昔絵が上手な同級生がいた。私はお世辞でもなんでもなく「上手だね」って言った。恐らく「そんなことないよ!」という返答があるだろうと予想した。
しかし彼女は私に満面の笑みで「ありがとう!」と告げた。
それが私にはとても美しく見えたのだ。
「お世辞なのに何本気にしてるの?」って私がそんなことを思う人間じゃないと、彼女の中でそう位置付けてくれていたのかと思ってしまうほどの衝撃だった。
そう思わないだろうか?褒め言葉を言葉通りに受け取ることって、ハイリスクな気がする。
この人お世辞も通じないんだ…とか
本気にしてるよ…とか
リスクの方が遥かに高い気がするのだ。
言葉を素直に受け取って御礼を言う。このシンプルなやり取りの方が私は美徳を感じざるを得ない。そこには誰かを陥れる姑息な心も、相手を疑う訝しむ心も存在しないのだから。
その経験があってから、なるべく言葉を素直に頂き、自分の活力にするように意識してきた。
ある日とある書類記入の際に、40代くらいの男性に「字が綺麗ですね」と言われた。上記の経験からいつも通り「ありがとうございます!」と笑顔で返した。
彼は意表を突かれた顔をして私の顔を見た。変な間があったのちに「あぁ…」と愛想笑いをされた。すごく不快だった。
彼は何のために私を褒めたのだろうか?私を喜ばせるためではないのだろうか?
日本人の美徳。その響きの美しさかまけて、本当は人を傷つけていないだろうか?
必ずしも否定することが今の時代を生きる生き方ではない。私はこれからも無意味な謙遜は避けて、素直に生きていきたい。だから、プロフィール欄にもずっと書いているように、私は文才があると信じてこれからもnoteを更新していくので悪しからず。