ドントウォーリー変化
変化することを恐れるのは、人間の習性だろうか?しかし、人前に出る仕事をする私達は、時におかしな二択を強いられるのだ。
私達のような芸事でお金を貰っている人種は、理不尽な要求をされる事が多い。その殆どが、抽象的なことばかりだ。
「劣化した」だとか「変わってしまった」だとか「こんな人だと思わなかった」だとか。そんな言葉を浴びるたびに、あなたの中の私って本当に私なの?と問いたくなる。だって私がこの世にオギャーと生まれてから、今に至るまでを一切見てきてないじゃないか。私がどんな時に泣いて、どんな時に喜んで、どんな奴を殺してやろうか?と念じたかなんて。
ステージにいる私や、公然とわかっている状況で発した言葉には、責任がつきものだ。無責任に言葉を選べない反面、責任を取れる範囲で言葉を紡いでいる。
タイトルにもある通り、「変化」に敏感な日本人には心底嫌気が差す。その最たるものがこれだ。
新しいことに挑戦すると「変わってしまった」「昔の方がよかった」と言う。
同じことばかりを繰り返すと「成長していない」「いつも同じ場所にいる」と言う。
こんな局面に対峙した時、あなたならどうするだろうか?
私自身の考えを述べさせてもらえるならば、変化を恐れることは、停滞や維持には繋がらない。目に見えない緩やかな速度で低迷して行くのだ。挑戦し続ければ、維持はかろうじてできるが、成功するかはまた別次元にあると考える。
だから私は「変化」を選ぶ。落ちていくのは体重だけで良い。