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誰かと話してる時、“質問されて”ます?

何年も前からの知り合いで、やさしくて、少し控えめで、いつも何かを学んでる、学びが好きなCちゃんという知り合いがいます。
たまに会って、お互い近況や、学んでることなんかの話を聞いたりする間柄なんです。

ここしばらく会ってなかったけど、たまたま会う機会があって話をしたんですよ。
学び好きのCちゃん、やっぱり何かを学んでいました。

あんまり自分のプライベートなことを自分から私は話さない方なんですが。
(聞かれたら話しますよ!)
Cちゃんにはなんか話しやすくて、話してしまうような、やさしいソフトな雰囲気の人なんです。

しばらくぶりに会って話をしたから、結構長話しちゃったんだけど。
帰宅して、なぜだろう、なんか、“話したな〜”という満足感みたいなものがなくて、なぜだろう?と不思議に思いました。

お互い、どちらも学んでることとか、最近あったこととかいろいろ話したんだけどな。


で、今日、親友にそのことを話してみたら、
「そのCちゃんて、Meijiaに質問してないからじゃないの?」と。
「話をほんとに聞いてる人は、聞いた内容が自分の認識と一致してるかどうか、相手に質問したりするよ。」と。


そうか。

なるほど、たしかに。
そうかも。

Cちゃんに私のことを話してる時、質問受けてなかったな。
「それって、こういうことですか?」とか聞かれてはなかったな。

私は逆に、Cちゃんに質問してた。
「それって、どういう経緯でそうなったんですか?」とか。
で、経緯を聞いて「へぇ〜、そういうことだったんですね〜!」みたいな会話があった。


やさしい、やわらかな印象の人だし、うんうん、ってうなづいて聞いてもらったように見えていたけど。

会った後の、なんか“たくさん話したな〜”みたいな満足感がないのは、そうだったのかもしれない。
質問されてなかった。

私の話に、あまり興味を持ってもらってなかったのかも。
それとか、
Cちゃんは自分のことで頭がいっぱいだったのかもしれない。


私とCちゃん、お互いの喋ってる量が同じくらいだったから、思い返してみると、そうなのかも、と思いました。


なんとなくね、今までも、Cちゃんと話した後、なんかモヤモヤする感覚が会って、Cちゃんいい人なのに、なぜだろう?相性の問題?とか思ってたんだけど、
親友の言葉に、妙に腑に落ちるものがありました。


Cちゃんの求めてるコミュニケーションのやり方というか、そういうものと、
私が求めてるコミュニケーションが、ちょっと違ってるのかもしれないですしね。
どっちがいいでも悪いでもなく。


親友の分析力はいつも鋭いものがあるので、ありがたく参考にさせてもらいました。

そういえば。
以前、人事部で教育担当していた時に、営業マン向けにやっていた営業研修で、講師の人が“アクティブ・リスニング”の大事さを説いていたのを思い出しました。

「お客様に対して必要な7つの項目」みたいなところで、その一つがアクティブ・リスニングでした。
もう30年ぐらい前の話ですが。

アクティブ・リスニングって、“傾聴”のことですが、ご存知の方多いですよね。
傾聴という言葉、割とよく聞くようになったし。

ただ聞くのではなく、うなづいたり、相手の言ってることを正しく理解できているかこちらから質問したりすること。


そうか、質問することって“傾聴”になるんだよね〜、なんて思い出しました。


いい質問ができる人になれたら最高だな。

自分自身にもいい質問ができる人になりたいな。

そんなこと、思います。

本日のおやつ。ピカチュウの東京ばな奈。かわいいなぁ。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
今日も無事、note投稿できてよかった。
気づけば、投稿が300回を超えてました。365回まであと少し。がんばります^^


#毎日note連続投稿中 #通算334本目

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Meijia
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