残留孤児について ②
皆さんこんばんは。誰か読んでくれてるのかな・・・?って思っていたら3人も読んで頂いておりとても嬉しかったです。ありがとうございます!
今日は私の幼少期について書いていきたいと思います。
私は中国、黒龍江省佳木斯市より上の川を挟んだ向こう側はロシアの場所に位置する、村で生まれました。川向こうがロシアということもあり、冬は-30度です。もう今じゃ想像もできない寒さす。お父さんとお母さんはお見合い結婚。
お父さんは村一番の貧乏。更におじいちゃんは希少が荒く村人からも嫌われ者だったみたいです。
お母さんは残留孤児の2世で、ぽっちゃりしていて恋人ができずにいたので、お見合いし結婚したとか。お母さんになんでお父さんと結婚したの?と聞いたら、私が身長低いのがコンプレックスだったから、身長が高ければ誰でも良かったの。子供の遺伝子的にも、低い×低いより、高い×低いほうが、まだ身長が高い子が生まれやすいでしょ?とのことでした。笑 (それでも今2人は仲良くいつも一緒にいます。)おかげで私は3人兄弟ですが、皆そこそこ身長はたかいほうです。
そんな凸凹コンビが結婚し、その年私が誕生しました。当時うちは大豆を作る農家をしており、お母さんは空いた時間でレストランでバイトをしていました。お父さん、お母さんともにとても働き者でしたが、ずっと貧乏でした。
軽く貧乏自慢!
①家が藁葺き屋根で、壁もコンクリートではなく、藁と土?を混ぜてくっつけたような壁!
②イモトアヤコさんがテレビで食べている虫を食べていた!(タンパク質があって本当に栄養満点だそうです。知りませんでした・・・)
③親戚になんありで常に借金!
簡単に書くとこんな感じです。イメージわきますか・・?笑
うちが貧乏だったのは③番が主な理由でした。お母さんは3人兄弟の長女。弟2人は、長男、小さい頃の風邪をこじらせ、脳に障害が残ってしまい、自分で生活できないほどに。末っ子の次男はギャンブル好きで、常に賭け麻雀、賭けトランプと借金を作っていました。お父さんの兄弟も離婚したり、働いていかなったりとあったそうです。
だからいつもお金に困っていました。普通に生活できるレベルの貧乏だったらいいのですが、病気の長男、借金をまみれの末っ子、働かない親戚と生活はかなり苦しかったみたいです。(私は小さすぎてあまり記憶がありませんが・・・家はボロボロだった記憶はうっすらあります)
そんな中出てきたのが日本が出した、中国から日本への引揚の機会です。
私は今でもお父さんとお母さんがこの政策に参加したことを誇りにおもい、感謝しています。
あのとき参加していなかったら私の人生は180度違っていたし、こんなにいろんな世界を見ることもできなかったと思います。
次回は日本政府の日本引揚へ参加した苦悩を投稿したいと思います。