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残留孤児について ④

皆さん今晩は!今日は日本に来てからのお話をしたいと思います。

私の記憶が曖昧のため、一番最初に集められt場所がどこか把握できていません。親に聞きましたが、両親もあのときいた場所がどこだか特定できないみたいです。

中国から出国してから日本に来て一番最初は他の引揚メンバーと一緒の集団生活でした。そこで、スーパーでの買い物の仕方や、日本の行事、習慣について勉強をしました。

今でも記憶に残っているのは生理用品に関してです。当時お母さんは生理用品=布の考えでした。そのため生理が来たときは布を当てていましたが、日本ではナプキンと言う商品があることを知り初めて使ったとき感動して興奮しながらお母さんが話していたのを今でも覚えています。

日本の行事を勉強するために、施設の人は様々なイベントを行ってくれてました。お花見のイベントでは着物を準備してくれたり、ご飯も用意してくれて宴会を楽しみました。

そんなこんなで、日本について勉強した後は、日本中に差配?されます。

私達家族は、研修後、佐賀に配属されました。佐賀の団地に住むことになり、ともに過ごした人たちとバラバラになりました。

なぜ佐賀だったか誰もわかりません。先祖が佐賀にすんでいたのかもしれません。佐賀の生活はなにも不自由なくとても平穏な生活でした。

収入はどこから?って疑問に思う人もいるかと思います。引揚メンバーは基本生活保護を受けています。そのため私達家族も生活保護で生活をしていました。

佐賀に引っ越してからもずべて生活保護でまかなっていました。

それがいいか悪いか意見はたくさんあると思います。ただ現在の政治はそうなっています。私達家族は生活保護が嫌で生活保護をやめました。

次回はなぜ生活保護をやめたか、どうやって生活保護をやめたかについてお話したいと思います。

最後まで読んでくれてありがとうございます!

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