プライド
プライドが、ポキッとへし折られる瞬間がある。
芸歴1年目だかの夏によみうりランドでの営業に週一ぐらいで行っていた。
営業といってもステージでネタをする。なんていうちゃんとした営業は芸もない1年目に与えられる筈もない。
僕たちが与えられたのは「水かけ芸人」というものだった。
「スプラッシュバンデッド」というアトラクションがよみうりランド内にはあって、その醍醐味が「ジェットコースターで滑走中にホースや水鉄砲で水をかけられる」というものだった。
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こんな感じ。ジェットコースターは迫力満点な上に暑い季節にはひんやりできる一石二鳥のアトラクションなのだが、この写真の櫓の上でホースで水をかけているのが「水かけ芸人」だ。
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ライトグリーンのTシャツにメッシュキャップという、僕のような芸人が着ることを全く想定していないユニフォーム。
昼前から閉園までこの格好で水をかけ続けた。
その頃の僕はブリキカラスの前のコンビだった。
営業初日。
当時のコンビで、ランド内の職員の部屋に挨拶に行った。
「ホースを使ってジェットコースターに水をかけたり、水鉄砲を子供たちに撃たせてあげるのが主な仕事だよ」
ランドの偉い人にざっくりとだが仕事内容を教えてもらった。
「あとは、兎に角。盛り上げて欲しいんだ。芸人さんだからさ…ほら、わかるよね?」
わかるよね?どういうことだ?
腑に落ちないまま水かけ芸人は始まった。
ジェットコースターに向けて黙々とホースで水をかけ続ける。乗客たちは金切り声をあげながら水しぶきを楽しんでいた。
道ゆく子どもたちやカップルたちにも水鉄砲をジェットコースターに向けて撃たせたりして、まあそれなりに楽しんでくれていた。
しかし、盛り上がっているかと言われると正直そこまでかなという印象。
「どうしたらもっと盛り上がるんだろうな」
今のやり方ではダメなのだろうか。
相方と首を傾げた。その瞬間。
櫓の上に乗っていた僕たちの背中を強い衝撃が襲った。そしてその衝撃は徐々に冷たさを帯びてきた。この正体はなんだ?振り返ると
子どもたちが水鉄砲を僕たちに向けて撃っていた。
おいおい。なんて躾のなっていない餓鬼どもだ。
そう思った。
しかし子どもたちの顔が今までと違うことに気づく。
心から笑っていたのだ。
偉い人の言葉が蘇る。
「盛り上げて欲しいんだ。芸人さんだからさ…わかるよね?」
「水かけ芸人」とは「水かけられ芸人」の事だったのだ。
僕たちに水をかけた子どもたちはこの日一番に盛り上がっている。
表向きには隠されている、この営業の隠されたミッションが明らかになった。
話術や一芸を持ち合わせていない僕たちは体を張って水をかけられてお客様を喜ばせるのが使命なのだ。
しかし、1年目だった僕は尖っていた。
プライドがあった。
水をかけられて喜ばせるなんて、これは「笑われている」んじゃないだろうか。僕は人を「笑わせる」芸人になりたいんだ!
そうですよね。深見千三郎師匠。
笑われてたまるか。
相方もそうだろう。同じ志を持ってコンビを組んでいる。感性は同じ。その信頼がある。水をかけられるんじゃなくて、僕たちの実力でこの場を盛り上げてやろうぜ。なあ、相方よ。
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相方はビショビショになっていた。
子どもたちはキャッキャと喜び大盛り上がりを見せ、相方が「やめてくれー!冷たいよー!」なんて叫ぶとより熱気を増して、唸りを上げた。
ぐぬぬ。
まあ相方は屈したが、所詮はコンビの「じゃない方」だ。コンビの心臓部は僕。僕が折れなければコンビの品性は保たれる。
当時の僕は「馬鹿よ貴方は」のファラオさんのような常に世界観や雰囲気のある芸人に憧れていた。表情ひとつ変えずに、毅然としていなければいけない。そんな芸人が水なんてかけられて世界観を崩す訳にはいかないんだ。
ビショビショの相方を尻目に、カラカラに乾いていた。
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数時間後。そんなプライドはへし折られた。目の前で場を盛り上げる相方への嫉妬。甘い蜜に誘われた。気づいたらビショビショだった。
それでもプライドがへし折られて、なんだか清々しかった。キルアが頭に刺さっていたイルミの針を抜いたような。そんな感覚。
夏空の下、観客たちは湧き上がった。
子どもたちに馬鹿にされたり水をかけられたりしながら、「水かけ芸人」は終わった。
今の自分の礎になった。なんて大それた経験ではないけれど。多少なりとは考え方を変えてくれる仕事だった。
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中学生たちと撮った写真。なんこれ。