必要とされてないのに何故働かなくてはならないの?

昨日、しずかみちこ先生の
ストレングスファインダーのコーチングセッションを受けまして、その内容はもうちょっと整理してから書きたいのですが、結論としては「毎日noteで何かしら発信したい」それを「規律性」を持って行う。というところに落ち着きました。

で、今までROM専だったnoteの自分のアカウント見たら結構タイトルだけの羅列とか、書きかけの下書きとかありまして、この記事もそのひとつです。
3年前の下書き記事の愚痴というか絶望の心情です。
ある意味自己紹介になるかなと思うのでそのまま上げます。
めっちゃネガティブなので閲覧注意で。



2008年大学卒、半年程東京の会社で働いたけど精神的に参って辞めた。
会社の環境がどうとかより、自分で自分を給料もらう価値無いと思い詰めただけだ。

そも大学4年の頃から精神科通ってて元々無理がああった。あのとき会社の内定気にしないで、会社の人に事情話して留年してゆっくり卒研してれば人生もっとマシになったかな。当時は超絶コミュ障で研究室の教授にも話しかけられなかったから無理だった。

今は障害者枠で最低賃金でピッキングのパートだ。
ある一定の年齢時にコミュ障発症すると人生詰む。
キャリアもスキルもない落ちこぼれコースだ。

障害者の就労支援って、ひとことで言えば「飼い殺されろ」
夢も希望もない。アルバイトできてえらいねー、パート決まってよかったねー、ふざけんな。
疲れた。

東京の会社辞めてからニート支援行ってたけど、その時期思ってた。ニュースではデフレデフレ騒いでて、優秀な人間以外必要ないというメッセージを叩きつけられて、一方でニートは社会悪だというメッセージも送られる。
誰が働きたいと思うよ。誰が生きたいと思うよ。
働かざる者食うべからずと言うなら言う奴が殺しに来てくれよ。殺しに来る度胸も無いなら口をつぐめ。

よく言われた「生きる為には働かなくてはならない」と。
「生きたい」と思えないから働く理由もない。
理由もないのに働くのはどんな楽な仕事でも苦行だ。
さりとて積極的に自殺したい訳でもない。
殺す気もなく働かせたいなら、生きたいと思わせるものを示してくれよ。頼むから。


他人の絶望を見るのって結構鎮痛剤になるんだなあ、というのは最近感じていて。だからこんな駄文でも何かの役にたてばいいなあと。
鎮痛剤にはなっても決して特効薬ではないですが。

最近カンザキイオリさんの歌にハマっているので。ティーンエイジャーの絶望を歌ってる感はするのでそれに共感するっていい大人としてどうなん?という気はするのですが。
まるで成長していない……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?