惰性と馬鹿
最近、Tverで過去に好きだったドラマをたくさん見返している。
G線上のあなたと私・5→9・あなたのことはそれほど・私が恋愛できない理由・獣になれない私たち、など。
書き出してみると全部恋愛系だな。全部ハッピーってわけじゃないけど。
獣になれない私たちの中で、松田龍平演じる会計士・根元恒星が、
「正義なんで大抵の企業にとって動力にならない。じゃあ何が動力になっているのか。これが案外金じゃない、惰性。」
という場面がある。
確かにな、と思った。
わたしは親&親戚の反対を押しのけて県外の大学を受験して第一志望に合格して今の生活をしている。この大学には面白い人がたくさんいて楽しいことがたくさんあるけれど、毎日、「この大学でよかった✨」なんて思ってないし、興味のない授業だってたくさんある。サボることもあるけど大体はちゃんと出てどうにか単位をとっている。
でもそれって誰のため?
いや全部自分のためなんだけど、そうじゃなくて。
わたしが興味のない授業に頑張って出て単位を取ることで誰が幸せになるのか、誰が望んでいるのか、とも思う。
わたしがいる学部には自分の軸がしっかりある人が多くて、それは世間(という言い方はあまり好きではないけれど)とは離れた考え方がちょこちょこある。だから今の環境で「誰のためにこういうことをしているんだろう」とぼやけば考えもしなかった解決方法がたくさん出てくるんだろうなと思う。
わたしはその人たちと比べれば常識的、というか、つまんない人間なんだと思う。
小学校6年間通学路をきちんと守って登下校し、1歳半から11歳くらいまで嫌々言いながら公文に通い続けた。親や祖母の言いつけをなるべく守って、というのは流石に嘘だけど、ふつうの反抗期を経てふつうに生きてきた。周りの大人からはいい子だね、と言われてた。今思えば扱いやすい子、だったんだろうな。いや、過大評価しすぎかな。
実家は田舎ではないけど、やっぱりその場にいる大多数がどう思っているか、が重視される傾向にある。狭いコミュニティだなと正直思う。多様性、なんて言葉が通じるところではない。そのまま生きてたらお局になりそう。だからこそ家を出たかったのだけれど。
だから帰ると視野の狭さに驚くことがある。と同時にそういう環境で生きてきたわたしは今いる大学の人たちと比べれば視野が狭くて思考が凝り固まっているんだろうなと思う。だから自由な人間ではないし、責任感という言葉でがんじがらめになることもある。
周りに比べればわたしはちゃんとしている人間だと思っているけど、その"ちゃんと"って誰のためだろう。誰が望んでいるのか。その責任感で誰がしあわせになるのか。
ドラマの話に戻る。
獣になれない私たちでは田中圭演じる京谷が元カノを家に住まわせながら新垣結衣演じる晶と恋人関係を続けて拗れる話なのだが、晶が「馬鹿になれたら楽なのに」とぼやくシーンがある。
その"馬鹿"が指すのは欲望のままに生きている菊池凛子演じる呉羽のこと。呉羽は堂々巡りを続ける京谷と晶に「ぜーんぶやめちゃえば?」などと軽く言う。
しあわせになるのは呉羽みたいな人なんだろうな。時間を無駄にせず、違うなと思ったら長く続いていた関係でも切る。鐘が鳴った人と交際0日婚する。
わたしは惰性とか責任感とかで生きている節がある。そういうのが嫌で、しあわせだけを純粋に追い求められる人をいいなと思う。そうなれたら、振り切れたらいいんだけど、楽しくない"常識"みたいなものをまだ抱えている部分がある。
やめたいなら辞めればいいしやりたいならやればいい。
新しいことになんの予備知識もなしに突っ込んでいける人はすごいなと思う。妬いちゃうし、あこがれる。
やめ癖に悩んでいることもここにつながっているんだろうな。
その話はまたこんど。