1994年 SideB-10「Tomorrow Never Knows/Mr.Children」
桜井和寿作詞・作曲 小林武史&Mr.Children編曲
・「若者のすべて」(フジテレビ系 1994/10/19~12/21)主題歌
フジテレビ系水曜9時枠10月クールドラマ主題歌。同年9月1日に発売された傑作アルバム「ATOMIC HEART」が大ヒットを記録する中で発売されたMr.Childrenの6枚目のシングル。当時のミュージックシーンは、ビーイング勢や小室ファミリーがチャートを席巻し、ユーミン、ドリカム、チャゲアスらの大物が次々にヒット作を量産していた、まさにCDセールスが頂点に達しようとしていた時代。そんな中、新たなヒットメーカーとして注目されていたのがMr.Childrenであり、その真価を決定づけたのがこの曲であった。
なにしろ直前に発売された「ATOMIC HEART」が異様にクオリティーの高いアルバムだったので直後にこれだけの楽曲が登場するとは夢にもおもわず、当時このバンドにはどれだけの才能が埋蔵されているんだと空恐ろしく思えたものである(桜井和寿本人も自分は天才かなって少し思ったと後日述懐していたことを覚えている)。
「若者のすべて」は「君といた夏」に続く亀山千広プロデュース作品で、(「君といた夏」で使わずに残しておいた)「あすなろ白書」最後の切り札・木村拓哉を満を持して起用した、「アウトサイダー」スタイルの青春群像ドラマである。
1994年は、様々な分野でSMAPのパワーが同時多発的にブレイクした最初の1年で、「HEY!HEY!おおきに毎度あり」が初めてオリコンナンバーワンを取った年であり、中居正広と香取慎吾が「笑っていいとも!」にレギュラー出演し始めた年でもある。結果的にここから20年間にわたって彼らの治世が続くことになるのだが、そのブレイクの最も大きな原動力となったのが木村拓哉という存在であったことは論を待たないだろうし、それが最も象徴的に現れたのがこの「若者のすべて」であった(なお個人的にこの年のSMAPの活動で最も印象的だったのは、空前絶後の元旦武道館1日6回公演と、木村が出演した「MOTHER2」のテレビCMだった)。
主演の萩原聖人は木村より一つ年上で、この時期若手の男優群では最大の注目株として映画やドラマで活躍。同世代のSMAPに対して相当なライバル心を抱いており、1991年の「学校へ行こう!」で中居正広・稲垣吾郎と共演した時も互いに火花を散らしていた。「若者のすべて」での木村との確執もずいぶん取りざたされたが、少なくともドラマ上ではこの緊張関係は良い方に働いていたし、主人公のライバルの位置に木村拓哉を配するという「あすなろ」仕込みのポジション取りも見事に功を奏していた。
共演は他に武田真治、深津絵里、鈴木杏樹、遠山景織子とセンスの良い配役で、さらに90年代から現在に至るまでテレビドラマの保守本流を支えることとなる脚本家・岡田惠和が初めて全話を手がけたオリジナル脚本作品でもあり、確実に新しい時代への予感を孕んだドラマだったと言える。そしてそんなドラマの主題歌をMr.Childrenが手がけていたりするわけだから、なるほどよくできているもんだなと感心したりもするのである。
(次回はボーナストラックです)
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