秋のブロンプトン〜霊山掛田の町並みと路面電車を見るポタ(福島県)
伊達市、旧霊山町
福島県中通り、阿武隈山地の北の果てに尽きる平野一帯が伊達市がある。平成の大合併以前は保原、梁川、月館、霊山(掛田)といった鄙びた町の集まりだった。いずれももかつては小さな地域の商圏の中心であったが今はさびれた町、山形でいうと山辺や寒河江、谷地などに似ている。
これまであまり訪れることのない地域だったが、そのうちで最大の街である保原にはこの夏に訪ねる機会を得た。福島交通軌道線の保存車両を訪ねたのである。
ホテルがあるほどには大きい保原の町だが、街並み的にはとくに他に見るものもなかった。
福島交通の保存車両といえば、もう一両が霊山の掛田駅跡に保存されているとかねてより聞いていた。ここは営業当時そのままの木造駅舎もバス待合所として残されているという。周囲の街並みも昭和の商店街の面影をとどめているようだ。
よってわたしはこの度、路面電車のよしみで霊山の町を訪ねてみることにしたのである。
霊山は中通りと浜通りのふたつの地域を分ける低山だ。古くから山岳仏教の聖地とされ、中通りの人が太平洋を望むことのできる人気のハイキングコースでもある。
旧霊山町の中心であった掛田の町は霊山の山からかなり離れており、霊山町の名を名乗るのはどうかとも思うが、その麓のベースキャンプとしてかつて賑わった町だ。
それは福島市内から延びていた路面電車の終点でもあった。このたびはこの掛田を訪ねるサイクリングを企画したのだった。
出発点は掛田の北10数kmの梁川からとした。その町外れにあるやながわ希望の森にクルマを停めてブロンプトンを展開する。
阿武隈川の支流である広瀬川の成す段丘に沿った農道をたどって走る。いい道だ。
果実帝国として名高い福島中通りだが、このあたりの今の産物は柿のようだった。
目指す掛田の町は、広瀬川からさらに岐れる小国川沿いにある。
広瀬川を渡って小国川をたどって進む。
掛田の街並み
ほどなく霊山の町に入る。
かつて目抜き通りであったとおぼしき道の両側には昭和レトロな商店が並んでいる。しかしその多くが戸を閉ざしている。シャッター商店街というよりこう言っては何だが、もはやゴーストタウンといった感じの寒々しさが漂っている。
路面電車ミュージアム
お目当ての掛田駅跡に着く。
今も福島駅まで直通のバス路線が運行しているが、1971年まではここから電車で保原を経て福島の中心街まで行くことができた。
廃止後も駅構内はバス駐泊所、駅舎は待合所として利用され現在まで残っていたが、昨年2013年に復元工事の上「路面電車ミュージアム」として公開されている。
運行当時の資料や写真が展示されているというが、あいにくこの時は10月末から約1ヶ月の臨時休業中であった。ていうかもとよりこの曜日は定休日だった。わたしの人生はいつもこんな感じだ。
構内には保存車両1115号も展示されている。保原に展示されている1116号とは同形式の兄弟である。昨年塗り直されたばかりでピカピカだ。
この電車、路線廃止後は霊山こどもの村というレジャー施設に永く屋外展示されていたが近年老朽化し、解体されようとしていたのだった。それを福島交通が買い取って補修復元の上、なじみの掛田駅跡に50余年ぶりに迎えたというドラマがあって今日に至る。
掛田の店並みも大半の店が閉まっている中で営業していたパン屋があった。
外から見るとおいしそうな惣菜パンが並んでいたが、いかんせん、現金もカードも持たずに来てしまったことを思い出した。こういうレトロな店はおそらくバーコード決済とかやっていないであろうからあきらめて去ったが、後で調べてみたらなかなか評判のよい店であることが判明し、たいへんに残念である。
梁川に戻る道は小国川の対岸にもう一本県道があって、帰りはそちらをたどろうかと考えていたが、午後になるとそちらは山で日蔭になっていることが判明した。よって陽当たりもいい来た道で戻ることとした。
ミニSLのこと
クルマを置いたやながわ希望の森公園にはミニSLと銘打った観光鉄道がある。週末のみの運行で車両を見ることはできなかったが、線路は762mmでかつて日本全国の田舎につくられた軽便鉄道の規格だ。ここにはそのような軽便鉄道仕様のSLが走っているのだ。
そのような軽便鉄道に走る車両を製造していたメーカーのひとつが協三工業という、福島に本社のある会社だ。そこがこの鉄道のために1987年に新たに製造したものである。レジャー施設の遊覧鉄道なのに機関車だけがやたら本格的なのであり、鉄道マニアをも唸らせるものがある。
ちなみに福島市のふるさと納税の返礼品として、協三工業のSLの超精密模型(1/5スケールだからめちゃめちゃでかい)がもらえる。納税額は990万。読者に大富豪がおられたらおすすめしたい。床の間に飾ったら客を圧倒できる。どうですか旦那。