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春のちょっとポタシリーズ6: 十文字からマイナー旧街道をつないで走る (秋田県)

はじめに

Googleマップで秋田県を見てみると、片田舎の細い道路にマイナーな旧街道の名がやたら細かくクレジットされていることに気付く。

二井山、植田、角間川、朝倉街道
大沢、横手、二井山、沼館街道

Googleの中に旧街道マニアでもいるのだろうか、他県はどうかと見れば山形などは羽州街道などのおもなものしか記載がない。なぜ秋田だけやたら詳細なのか謎だ。
どうあれ元々、どこの地域も、大名行列が行き来するような主要街道のほかに、脇街道としてそのようなマイナーな道が多く存在して人と物のネットワークを形成していたのだろう。
近代になりその多くは車道として改良拡張され、往時の面影を失うのが常だが、秋田県の場合は主要交通路に並行する裏道として残されているものが多いということかもしれない。

秋田県の県南部はサイクリング向きな景観と地形が多く、これまでも幾たびか楽しんできた。しかしそのほとんどが国道13号と真昼山地に挟まれた地域であった。重伝建たる増田の町など見どころもある。
一方で国道13号の西は、西馬音内などにクルマで訪れたことはあっても、その際「どこまで行っても田んぼしかない」というイメージを受けて、これまでサイクリングに行くモチベーションが起きなかったのだ。
しかし最近前述のGoogleマップをあらためて見るに、初めて名を目にするマイナー旧街道のかずかずと、それらに連なる沿道の小さな町や集落はなかなか風情がありそうだ。よって今回、国道13号の西側に探索の足を踏み入れることとなったのである。

(しかしあとから見返してみると、重伝建の町などと違ってそれほど写真の見栄えがしないことに気づいた。走っている時にひとりでずいぶん盛り上がったのは、旧街道の発する歴史のオーラみたいなもののせいだったんのだろうかと今になって思う)

十文字から羽州街道

行程約30km

出発点は十文字の町。十文字ラーメンで有名であるとはいえ、北の横手と南の湯沢、そして東の増田に囲まれて地味な印象を受ける町だ。
しかし南北に走る羽州街道と東西の増田街道の交差点としてかつてはそれなりに栄えていた。商圏の要所としての過去の面影は街道沿いの古い商店街に残っている。
もちろんラーメンも見逃せない。三角そば屋、丸竹食堂、マルタマ等の老舗店には最近の黒Tシャツバンダナ系の新興店にはない風情がある。

国道13号は十文字の北側からバイパスと旧道が分かれ、後者が旧羽州街道だ。並ぶ家並みが街道ぽさを醸し出すが意外にも宿場ではなかった。街が発展してきたのは19世紀からだという。

岩崎

そのまま旧街道をたどり皆瀬川を渡ると岩崎の町に入る。こちらが横手と湯沢の中間にあったほんとうの宿場町だ。
黒塀に囲まれた民家や蔵、酒蔵などが点在し、宿場町の面影をおぼろげに宿している。

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今回立ち寄らなかったが、岩崎八幡神社の境内にはカシマ様という、この地域特有の大魔神もしくはモビルスーツ風メガ藁人形があるという。
古くから集落で邪悪な霊や疫病に睨みを効かせる道祖神的存在というが見るからに強そうだ。胸部の丸いのからはミサイルが出るに違いない。
あとからその存在を知ったのだが訪ねなかったのが惜しまれる。

この町の知名度は意外に低く、わたしも近年になって偶然通りかかって知ったのだった。

(余談:この町を流していたとき、ブロンプトンとすれ違った。その時はもっぱら街並みに気を取られており、向かいからミニベロ乗った兄ちゃんが来るの〜ぐらいの認識だったが、向こうが手を挙げて挨拶して気づく→おん?あっっブロだ!と気がついた。その時にはもうすれ違ったあとで時すでにお寿司だったのだが、赤いブロに乗っていたお兄さん、気の利いた挨拶を返せずすみませんでした。
しかしブロンプトンはアーバンなイメージとうらはらに、まったく予期せぬような鄙で出会うことがあるので油断ならない。前回は庄内の田んぼのど真ん中、その前は南陽宮内の熊野大社だった。)

2 皆瀬川沿いの道

西馬音内街道と沼館街道

岩崎で羽州街道と交差するのが東西に走る西馬音内街道だ。植田集落からその道をたどる。

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観光化されてない旧街道からしか得られない栄養がある
そういう栄養が豊富な食事を出していたに違いない(廃業)

植田では、大曲と湯沢を結ぶ脇街道であった沼館(植田)街道が西馬音内街道と交差する。よってここはそれなりの規模の集落だった。
かつては商店街をなしていたと思しきいくつかの店も全て閉じているが、家並や木立は今も街道の面影を残している。

沼館街道で浅舞へ

植田からは沼館街道をたどって北へ向かう。しばらく県道と重なるが、やがて細い道に旧道が岐れて浅舞の町に入る。

4. ここも由緒ありそうな下鍋倉集落
浅舞につづく道 廃線跡かと思ったが違った

浅舞という町はこれまで訪れたことがなかったが、2005年に横手市に合併されるまでの行政区画、平鹿町の中心集落であった。

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秋田県の古い商家からしか得られない栄養もある
日本人の看板建築摂取量は年々減少している

地図で見ると田んぼの只中の一集落かと思えた浅舞だが、かつて役場があっただけあってそれなりの規模の町だ。
古い町屋と昭和レトロが混じり合う街並みも好ましい。
街中にはそのほか鬱蒼とした木立に囲まれた湧水が成す池や、酒蔵、そして町の規模にしては広大な、緑濃い公園などがあったりして趣が深い。今までこの街を知らなかったのは迂闊であった。

由緒(記し損ねた)ある銘木
よく見えないけど趣ある水路
6. 浅舞公園

この日は午後も遅い時間だったのであまりゆっくりできなかったが、いずれは西にあって未訪の雄物川(沼館)と併せてじっくり味わいたい町である。

十文字街道

浅舞からは十文字街道で十文字に戻る。
クルマの流れは専ら並行する県道に集まり、今は裏道となった旧街道は静かである。
沿道の随所に残る黒塀や巨木に過日の面影を感じさせる。

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Googleマップではこの道は十文字街道と記載されているが、本荘街道のこの区間の別名ではないかと思う。東海道線と京浜東北線みたいなものか。

8. 十文字の梨木公園。左手には桜の古木が並ぶ

羽後交通横荘線のこと

浅舞公園のはずれにはかつての羽後交通の浅舞駅跡があった(遺構は何もない)。
羽後交通横荘線は横手からここ浅舞をへて沼館、大森の主要集落を通り、さらには旧東由利町老方までを結んで走っていたローカル私鉄だ。
もとは日本海側の本荘と横手を結ぶ壮大な構想で建設開始したが、途中区間がついに完成しないまま廃止になっている(本荘側の区間は由利高原鉄道として現存)。

線路跡はおおかた道路になったり一部は消失したりだが、二井山までは並行する旧道をたどって羽後交通ごっこをして往時の雰囲気を味わうことは今も可能だ。

特筆すべきは二井山より先の山越え区間だ。1953年に廃止になった後、県道48号としてほぼそのまま道路に転用されており、数カ所のトンネルも残されている。
廃止後70年を経て、沼館から老方に向かうクルマは南側の国道107号を利用するので交通量も少なく、この道は廃線跡サイクリング向きとも言える(Googleマップ、国土地理院地図ともにこの道に「横荘(=本荘)街道」の記載がある)。ちゃんと整備すればつくばりんりんロードみたいになるのにと惜しまれるところだ。

この区間をクルマで走った動画もいくつか見つけた。これは2021年の撮影だがこの時点でトンネルの一つが通行止になっているものの迂回路があり、元終着駅の老方まで通行可能だったようだ。

自転車でいつか走破してみたいものだが、最近はクマが荒ぶっててこわいのよ…

今回はついでに寄ったぐらいの感じだったため十文字にクルマを停めて走り出したが、このエリアを訪れる人はぜひ増田の町並みも味わう時間も加えてほしい。十文字からわずか3kmちょっとだ。
増田に行った話は↓。


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