愛が欲しかった。
私はなんで、人にヤキモチを強くやくんだろう、
そして、なんでそれを我慢しちゃうんだろう。
素直に言えばいいのに。
「私とあそんで」とかさ。
原因はすぐに浮かんだ。
父親だ。
ずっとずっと愛が欲しくて
与えられたそれが、いびつで気持ち悪くて。
父は、私のことすきなのは分かるんだ。
けど表現ができない。
愛というものが 父にとっては難しい。
自分のことしか考えられない。無自覚で。
無自覚というところがやっかいなんだ。
自覚があれば改善できる。
でも無自覚は、「ない」たから、 求めることも、せめることも、できない。
私は、愛が欲しかった。
ただ、それだけだったのに。
私の欲しい愛の形は、
ハグしてくれたり、すきだよって伝えてくれたり、
関心向けてくれたり。
そんなことだった、と思う。
とにかく、私が存在していていいという
安心感と愛が欲しかった。
もらえてなかったワケはない。
たくさんもらえてた、いろんな形で。
ここまで生きてこられたことは
紛れもなく、その証拠になる。
自分で愛することもできた。
とても過保護に、自分のことは愛していた。
「傷つかないように。」
私は私のことを守ってくれた。
凹ボコってしたその欠落した所に
ネガティヴが入りこんだ。
たくさんネガティヴが埋まりこんだ。
とにかく愛されたいという
欠落感を元に。
男性から好いてもらいたくて、
『男の人は、かわいい人がすき!』
ここを強く信じた。
男性に求めっれたら、 断わってはいけない
(断りたくない)
だって、私を求めてくれてるんだから。
その思いで、そして自分の性欲と凹を埋めるために、男性からの誘いを断ることをしなかった。
誘われたら嬉しくてついていく。
傷ついたという感覚もない。
単純な快楽と罪悪感。
どこから生まれたかわからない罪悪感は
ここから生まれてたんだという発見が
これを書いたことで生まれた。
とても嬉しい収穫。
男性からの誘いを断らずに
心の繋がりのないsexをしてしまうことで
『女性として自分自身を大切にできてない』
という罪悪感がうまれたんだ。
この罪悪感が、今も私にくっついている。
-------続きます-----