天草四郎の命日に天草・島原に行ってきた 〜1日目〜
まえがき
突然ですが、歴史上の人物で誰が一番好きですか?
わたしはぶっちぎりダントツで、天草四郎が一番大好きです。
好きになった経緯やどこが好きなのかは長くなるので省略しますが、彼のことが知りたすぎて島原・天草の乱の資料を片っ端から読んだほど。
おかげで乱の背景や当時のキリシタン文化にだいぶ詳しくなりました。
ところでわたしは普段小説を書いているのですが、今はちょうど天草四郎を題材にした中編小説を執筆中です。そんな折、ふと気づいてしまいました。
4月12日って四郎さんの命日じゃないか?
そうです、1638年4月12日は島原・天草の乱が終結した日。天草四郎を含む一揆軍が全員殺されてしまった日です。(旧暦だと2月28日)
命日が迫っていることもそうだし、ちょうど彼を題材にした小説も書いている途中だし、しかもそのタイミングで好きなゲーム(FGO)で天草四郎メインのイベントが始まるし、これはもう絶対行こう! と気がつけば天草行きの予定を組んでいました。
しかもちょうど出発する前日から、島原城でMR天草四郎というホログラムの四郎さんに会える催しが始まる始末。偶然にしてはできすぎじゃない?
ということで、旅の記録を天草・島原旅行記として残すことにしました。
そして実は天草に行くのはこれで三度目。およそ2年半ぶりの天草旅行です!
コロナ対策
緊急事態宣言が明けていたとは言え、新型コロナウイルスには充分すぎるほど警戒したいところ。
遠出をするにあたっては、旅行サイトに掲載されている「新しい旅のエチケット」を熟読したほか、以下のことを厳守していました。
・一人で行く
・2週間前から(いつも以上に)体調に気をつける
・普段から毎日検温する(職場に報告義務あり)
・旅行中も体温計を持参して毎日検温する
・食事中とホテルの部屋以外では絶対にマスクを外さない
・手のアルコール消毒は消毒液を見つけ次第行う
・ソーシャルディスタンスの徹底
・混んでいる場所には行かない
幸い交通機関はガラガラで、わたしが行った場所もほとんど人がいませんでした。
快速あまくさ号
1日目は熊本から高速バス「快速あまくさ号」に乗って天草へ。
宇土の町や有明海をボーッと見ていると、
「四郎さんもこの景色を見ていたのだろうか」
「あの山や海は四郎さんを知っているのだろうか」
などとセンチメンタルなことを考え始めてしまい、さっそく胸がいっぱいに。
よく考えたら大好きな人と同じ景色を見ている、彼が生きていた地続きの世界をいま自分も生きているというのはすごいことですね。
四郎さんは宇土で生まれ育った説があるので、次はぜひ宇土にも降り立っていろいろ観光してみたいです。
▼バスから眺めた雲仙岳
▼三角港
藍のあまくさ村
さて、熊本から天草へはかなり時間がかかるので、ホテルまでの道中は藍のあまくさ村にだけ寄るスケジュールでした。
しかしここ、車以外だとめちゃくちゃ行きづらい……!
最寄りのバス停から徒歩20分くらいで辿り着いたので歩く距離的には大したことなかったんですが、大きな荷物を持って歩くような道ではありませんでした。(坂道あり、トンネルあり、他に歩行者なし、おまけにすぐそばを車がビュンビュン走る)
藍のあまくさ村自体はとっても素敵なところなので、皆さんにおかれましてはぜひ車で行くことをおすすめします。
ゼエハア言いながら到着した藍のあまくさ村では、15メートルの巨大な天草四郎像がお出迎え。
▼四郎さんの像は天草にたくさんありますが、これは中でも一番濃いお顔
すぐそばには、最近できたらしいアマビエ像もありました。
▼アマビエ像
▼天草四郎とアマビエのツーショット
▼天草四郎について書かれた看板
▼入口にも天草四郎像が
夜が支配する町
さっそくお土産を買い、元来た道を歩いて再び高速バスを待ちます。目的地の本渡までは、バスでさらに1時間くらいでした。
ちょうど日没~夜の始まりと時間が重なり、バスはだんだん暗くなっていく田舎道を進んでいきます。
このとき、久しぶりに「夜の怖さ」を味わいました。
悠然と佇んでいた新緑の山がだんだん黒い大きな影に変わっていく様は、なかなか心細くなるものです。普段住んでいる街は夜になっても明かりだらけで人も多く、「人間が夜を支配した」感じがあります。しかし天草は「夜が人間を支配している」感がありました。
こういう、人間にはどうにもできない大いなる自然を感じるのが好きなので、心細くなりつつもかすかにテンションが上がっていました。
夜にはホテルに到着し、早々に就寝。
明日はいよいよ島原城と原城跡に行きます!
→2日目につづく
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