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ルッキズムからの解放
長年、姉の強烈なルッキズムに苦しめられてきた。姉は美人だ。価値基準が顔にあるのが普段から言動に滲み出ている為、私はそんな姉の元、多感な思春期から成人までを過ごした。
小学校から中学卒業まで虐められていたから、外でも家でも私の心が平穏に保たれる場所はなく、
日々浴びせられる容姿批判、人格否定の数々が、私の自尊心をドンドン無くしていった。
姉から出てくる言葉の数々は、棘の様に突き刺さって長年私の心にずっと刺さったままだったのだが、最近、よく人と会う様になってわかった。
私の容姿は『普通』だと。
あんなにも醜悪だと思っていたのに、全然そんな事なかった。あの日々、時間は何だったんだろうと思う程、あっさりと棘は抜け、最近では『普通』を噛み締めてる。カメラを向けれても素直に笑える程度には自分の容姿を受け入れられる様になった。
会う人会う人、皆んなそれぞれの顔をしている。
容姿が整っている人もいれば、そうでない人、普通の人、色んな人に触れて、色々な場所に行って思うのは、私はその人の中身に触れたいという事だ。
面白い、話していて楽しい、賢いところがある、意外と色んな人や物を観察している。
容姿とか関係なく、その人特有の性格や話し方、笑い方から所作、色んな方面でその人に触れる瞬間が好きだ。
バーに初めてこの歳で行った。誰も容姿批判なんてしてなくて、マイナスなところも良いように言う。そういう『場』なのはわかってる。
でも、なんだかとても救われた。
『貴方可愛いわね』ママからの言葉に戸惑った。
私が?可愛い?そんなの真正面から今まで言われた事ないぞ
『ありがとうございます』とは言えず、咄嗟に『いえ…』と苦笑いしてしまったけど、素直に嬉しかった。
お世辞だって良い。人は思ってないことは言わない。と、考えているから少なからずそう感じさせられたのなら嬉しかった。
夜の店は私に心の自由を教えてくれた。
笑って良い理由をくれた。お姉ちゃんみたいに美人じゃないけれど、普通で良い。
『普通』が、何より嬉しかった。