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文学への想い

皆さんこんにちは!銀座メイドバーMelfiのいちごです。
前回の自己紹介、緊張しすぎて伝えたいことの五割も書けなかったような気がします!
今回は私の文学を好きになった経緯や、文学への想いを綴ろうかと思います。




元々、私は幼少期から本を読むのが好きな子供でした。というのも、親にゲームや漫画をかなり制限されており『活字』であればいくらでも買ってやる!という親の謎の教育の元です。
なので、幼少期からライトノベルにどっぷり浸かり(それはありなのか?)そこから文学への道に足を踏み入れました。(一番最初に買ったライトノベルは『這いよれニャル子さん』です。)
読書感想文、大好きでした。普段自分が他者に開示出来ないような想いを思うがままに言語化して、文字に書き綴るという行為そのものが私にとっては酷く耽美的で、高尚な行為でした。
ですが中学に上がったあたりから徐々にゲームやYouTubeにハマるようになり、バランスが崩れ、そこから数年間はあまり活字を読まなくなります。
文学が好き!と言っていますが、出戻りをしたのは大体二年ほど前からです。(新参者です。)
推していたバーチャルYouTuberが、突然『おすすめの本紹介』という配信を始め、それの配信を何気なく視聴したのがきっかけです。
その推しは、その配信で 
『平成くん、さようなら』古市憲寿
『ウエハースの椅子』江國香織
を紹介しており、最初私は存じ上げない方達だな…と思いながら、気になって何気なくAmazonやGoogleで検索をかけていました。(古市憲寿さんは時々テレビに出演されていたので、お顔は存じ上げていました。)
推しがおすすめしてるし、読んでみるか!と思い購入。本当に、何気なく、飲み終わったジュースの空き瓶をゴミ箱に捨てるような気軽さでした。
その二冊が届いて、久しぶりの活字に緊張しながら読み進めると、あまりの良さに胸が詰まりました。心の奥の、芯の部分にまで行き届くような幸福さです。
江國香織の『ウエハースの椅子』で好きな文章を一部抜粋します。

「紅茶に添えられた角砂糖でいるのが、多分性に合っていたのだろう。役に立たない、でもそこにあることを"望まれている"角砂糖でいるのが。」

「死はほとんどお菓子のような身軽さで、私を誘惑する。」

ウエハースの椅子/江國香織

この文章が、魔法みたいに自分の身体に溶け込んでいきました。なんて綺麗な言葉なんだ…!と感動しました。
自分の心のどんよりとした薄暗い部分にそっと寄り添って、あたためて、一緒に添い寝してくれているような…そんな気持ちです。(伝わる?)
この本を読んだ時の当時の私の書き殴りメモ(という名の感想)も一応載せておきます。↓


文章、言葉が本当に素晴らしく綺麗で繊細だと思うし、曖昧な人の心や行動を汲み取るのが凄く上手い作家さんだな、と感じた。
三十八歳、未婚。だが主人公には恋人がいる。だがその男には妻がいて、息子と娘もいる。世間一般的な言葉で言うのなら、所謂"不倫"というやつだ。
決して不倫を肯定するわけでも、否定するわけでもないが、何も無いようでそうではない、するすると過ぎていく主人公の暮らしと時間を垣間見れたような話だった。決して正しいとは言い難い、曖昧な生活の中で見出すしあわせな生活、その繊細さがとてもきれいで美しい。
読み進めていくと、時々彼女の事が小さな幼子のように見えてくる時がある。恋人がいない時、ひとりでいる時などに。大人になりきれていない、孤独を受け入れきれていない、子供のような。
この本を読んでいると、段々自分まで、この世界でひとり、取り残されたような、そんな寂しさを覚える。
一度は離れようと、恋人に別れを切り出した主人公だったが、結局また"元通り"になってしまう。傍から見ればそれは、恋愛に取りつかれた可哀想な女だと思われるかもしれないが、本人にとってはそれが最も幸福なことであり、そして緩やかな自殺なのだ。


鬱々とした気持ちになった時によく江國香織を読んでいました。この抜粋した文章たちを読んで、「いいな」と思ったら是非一度読んで頂きたいです。


そして二冊目、古市憲寿の『平成くん、さようなら』です。
古市憲寿さんといえばあの有名な毒舌コメンテーターの方です。(分からない方は検索してみてくださいね)

「必死に何者かになろうとして、外見だけをちぐはぐに取り繕っている私と、自然と何者かになってしまう平成くんの間には身長差以上の差があるようにみえる。」

「時代を背負った人間は、いつか古くなる」

平成くん、さようなら/古市憲寿

安楽死が合法化された現代日本。名前もあいまって、メディアで「平成(へいせい)」を象徴する人物ともてはやされる「平成(ひとなり)くん」は、時代の終わりとともに安楽死したい、と恋人・愛に告げる。愛は受け容れられぬまま二人の最後の日々を過ごすのだが…?というお話です。
かなり現代社会に沿ったお話だと思います。(語りすぎるとネタバレになってしまうので比較的簡素に綴ります。)
"安楽死"という選択を選べる時代に自分も存在していたら、あなたはその選択を選びますか?
自分の"消費期限"を自覚した瞬間に死という選択肢が身近なものになるのでしょうか。
読んでいて「死生観ッッッッッ」となりました。(?)いやはやこればかりは難しい議題なので一概には言えませんが、普段の古市憲寿さんからは予想もつかないような作風です。
「必死に何者かになろうとして、外見だけをちぐはぐに取り繕っている私」。耳が痛いです。結局私もそうなのかもしれないです。そうやってみんな、何者かになろうとして社会に適応、馴染もうと頑張っているわけです。

二冊とも比較的ページ数も少なめです。Amazonで買えます。

そしてその二冊を読んだ後から、私の文学への熱が再熱しました。🔥
そこから色んな本を読み、辿り着いたのが『現代自由詩』というジャンルです。
現代詩とはなんぞや?という方のために説明しておきますと

伝統的な詩の形式や規定にとらわれず、自由な形式・発想で作る詩。

Google日本辞書

のことです。
なので自分で作るにあたっては、初心者の方は比較的挑戦しやすいのかなと思います。
現代のSNS(主にX)において、こういった『現代詩』や『短歌』は手軽に自身の気持ちを伝えられるツール・コンテンツになりつつあります。(時々、短歌の一文が抜粋されたツイートがバズっていたりします。)
短いながらもいかに簡潔に、人の心に滑り込ませるような一文が書けるか。
『詩』とは、自分にとって、自分自身を見つめ直すことができるものです。文字にして、新たに気づく感情たちも多いです。
『詩』の良さを、もっと色々な方々に知って頂きたいと常々思います。(でも難しいよねー…でも読んで欲しいなー…)
『詩』は、綴る方たちによって本当に様々な表現の仕方があり音や語感で楽しませてくれるものもあれば言葉自体の美しさや静謐さで奥ゆかしく表現しているものもあり、いつか自分好みの自分にとってお守りのような『詩』を見つけることが出来た時には、その言葉たちがその人の大切なものをすくい上げ、護ってくれるだろうと思っています。
(最初はなにから読んだらいいか分からない方も多いと思うが、そういう時は直感だったり、装丁の好みでビビっときたものを選べば良いのではないかと思います!フィーリングは大事!)
その時はよくわからなかった言葉や、文章たちでも、時間が経って読み返すとどんどんスポンジのように自分の中に染み込んでくる時が本当にあります!びっくり!その時がタイミングではなかっただけで、数ヶ月後にまた同じ本を読み返したら今までピンとこなかった文章にハッとさせられたりします。すごいねー!

現代社会において、そもそも『活字』を自ら摂取する機会は減っています。最近はほとんどデジタル、ネットでどうとでもなりますもんね。電子書籍派の方も多いのではないでしょうか。それでも私は圧倒的に『紙媒体』をオススメしたいです。紙のあの装丁、ページの質感!(オタク語り)
「本って高いよね」と言われがちですが、そんなん当たり前です。
それだけ手間暇をかけているわけですからね…
本屋さんの減少もとても悲しいです。もっと色んな方に文学の良さを知って欲しいなあと密かに思っています。
文学は私にとって『希望』であり、『光』です。あけすけにいってしまえば、本は私を裏切りません。食事と、睡眠と、読書。これだけは私を裏切りません。だから、好きです。人間以外と付き合えるのであれば、本と付き合いたいです。それくらい私にとって本は大切で、宝物のような存在です。


銀座メイドバー「Melfi」でお給仕を初めてから、『本が好き』ということはあまり皆さんにお伝えしていませんでした。そもそも読書が好き、というだけで珍しがられる世の中です。驚かれる方が割合的には多いです。どこまで自分の好きなことを周りに開示して良いものか、ずっと考えあぐねていました。
そんな中で、ご帰宅されるご主人様方に「本が好きです!」と思い切って話してみたことがありました。その時に、そのご主人様には「もっとアピールした方が良い!」と仰って頂いたのがきっかけで
ほな、やってみよかな…と思った所存です。
本に限らず、自分の好きなコンテンツのお話をたくさんしたいですし、いつか、一緒にお給仕しているメイドさん方の紹介もしたいです🎶🙂‍↕️

つらつらと駄文で申し訳ありません。

今回は私なりの文学への想いを語らせて頂きました。また良ければ読んでくださると嬉しいです🙂‍↕️

これからも銀座メイドバー「Melfi」をよろしくお願いします🙂‍↕️




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