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靴下の産地・加古川市の千代治さんへ行ったよ

こんにちは!くつとくつしたアナグマ屋の店主の橋本です。奈良県の香芝市で靴下のセレクトショップを開店しようと頑張ってます。

日本には3大靴下産地と呼ばれる場所があります。

奈良・兵庫・東京 です。

東京は関東大震災の後、産地としては廃れていったと聞いたことがあります。その震災の後に、日本で一番の靴下の産地となったのが、兵庫県加古川市周辺の地域でした。

先日、兵庫県加古川市へ行ってきました。
http://hyogosocks.or.jp/

兵庫県下でのくつ下製造業の発祥は、「明治19年に印南郡志方町(現、加古川|市志方町) の住民である稲岡啓吉さんが、上海から手廻しのくつ下編み機を持ち帰り、製造をはじめたことによる」と、されています。
また、別の記録として…。『志方町史』には「明治33年。太阪から和田猪之助というひとが、じぶんで製作したくつ下の編み機を10台あまり持って加古川市志方町(当時は印南郡志方町)横大路へ来て、農家の納屋を借りて仮工場をつくり製造をはじめたのが加古川におけるくつ下製造のそもそもの草分けである」と、あります。
加古川でくつ下の製造がはじまった当時。
この地方では古くからの姫路藩の奨励策により「播州の三白(米、塩、木綿 )」が特産物として有名でした。織維工業の発展にともない、このうちの手織木綿を材料にしてくつ下がつくられるようになります。明治中期には煙草が官営になったため、農家が次々と副業としてくつ下を手がけるようになり、産地としての基盤ができあがりました。

このあたりの歴史はとても奈良県と似ていますね。

大正初期に半自動くつ下編み機、大正13年には自動編み機がアメリカから輸入され、技術革新が進みます。工場も組織化され、播磨地方の生産規模は急速に拡大。時代は、昭和へ。神戸港に近い立地条件の良さをいかして世界各国へ輸出。くつ下は、日本を代表する輸出品になっていきます。やがて、戦争。そして、戦後の復興期。昭和24年、苦難を乗り越え加古川市周辺は、日本一のくつ下産地になりました

町の雰囲気もアナグマ屋の店主が住む奈良ととても酷似していました。

最初に行っておきますが、奈良県からわざわざ加古川市に行っておきながら写真を一枚も取っていません。

ブログとしてとっても悲惨な話ですが、急な予定変更で行って、あわただしく帰ってきたので、ブログに書かないとと思ったのが帰ってきてから・・・

その加古川で、とっても元気な靴下工場、千代治のくつ下を作られている、千代田繊維工業株式会社さんに行ってきました。ちよじの靴下のちよじは創業者のお名前だそうです。

千代田繊維工業株式会社さんは工場に併設した店舗とネットショップを持っいて、自ら自社商品を販売されています。

アメリカの開拓者のお家(表現があっているかは分かりませんが)みたいな可愛らしい建物には古い靴下編み機と、たくさんの靴下が並べられています。
私が行ったのは土曜日でしたが、私の後にも次から次へとお客さんがいらしてました。とてもにぎわっています。

住宅地と農地と工業地が1:1:1に混ざり合ったような場所で、お世辞にも交通の便が良い場所ではないですが、それでもわざわざ足を運びたくなるのはとっても品質の良い靴下が買えるから。

履きやすくて、品質が良くて、手ごろなお値段で買える。そんな靴下をたくさんの人が求めています。

少しだけ、店長さんとお話しさせていただいて(ほんとアポなし突撃訪問で申し訳ございません)真のある方で、突然来たよそ者の靴下屋の私にも真摯に対応してくださいました。
きっと靴下にも真の通った創りをされているんだろうと感じました(靴下には作った人の特徴がでるようなきがしています)ゆっくりする時間がなくて本当に申し訳ないです。

店主も少しだけ自分用に買って帰ってきました。いつかアナグマ屋の店舗にも並べられたらいいなーと思っています。


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