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Journal no.1 in Istanbul

2ヶ月のロンドン滞在からイスタンブールに帰ってきて約2週間が経った。イスタンブールは、私にとってふたつ目の近いようで遠かったホームタウン。これまでの人生で期限がなく滞在することがなかったから、この歳になってやっとイスタンブールで日常を過ごせている感じがしてそれはそれでいい。

イスタンブールでは気心知れた人がまだいない。お父さんと住んでいるんだけど、最近の気持ちの脆い部分を家族には絶対見せたくない。恥ずかしいのか、家族から思われている「はるり」を崩したくないのか。

傷つきたくないから、人と関わるときは警戒心がとても強いんだけど、この人は私を受け入れてくれるって思えると心を大きく解放していく。ひとりでは抱えきれないくらいの思いがすぐに溢れてしまうから。

✴︎この文章を書きながら聞いていたアルバム


ホームにいると、環境が落ち着いているから内省ができて、これまでモヤッとしていたことが一つずつクリアになっていく感覚がある。これを友達とシェアしたいんだけど、こんなに連絡ばっかりしたら鬱陶しいかなとか思って、Instagramのclose friendsに気持ちを吐露したり、threadsなんて別に誰もみていないだろう、でも私に興味ある人は見てくれるかななんてちょっとした淡い期待を込めて、書いたりしている最近。

ただ、そんなSNSの使い方に違和感があった。小さな違和感だけど、無視はできないくらい強い小さな違和感。

そんなとき、たまたま最近読み始めた朝井リョウの「何者」に、こんな一説があった。

誰にも伝えなくてもいい段階のことを、この世でいちばん熱い言葉を使って、他人に、理想の自分を想像してもらおうとしている。
想像。
想像力が足りない人ほど、他人に想像力を求める。他の人間とは違う自分を、誰かに想像して欲しくてたまらないのだ。

SNSで、その事柄に全く関係の無い人が、それを見たときに、瞬く間に心が冷えていくことを想像できる。

本当に大切な思い出を語るわけではなく、自分を何者かであるように見せるための材料として。


主人公の拓人は少し拗らせてるなとも思うが、私も結構派手に拗らせてんなって思う部分があるから共感できるところがたくさんある。

まあ、こんなのを見てなんだかInstagramのストーリーに中途半端にカッコつけたように気持ちを吐露している自分がすんごく嫌になったわけ。元々合った違和感とも相まってInstagramに比重を置いている自分がものすごくダサいように思ったわけ。なんだか距離あけようって思って。もっと他のものにエネルギーを注ごうって。

そんなとき、たまたまロンドンで思いがけずめっちゃ仲良くなった友達のnoteを読んでみたらなんだか視界がぼやけてきた。あ、わたしも自分の心を文字で整理してみよう。


その人は自分のことを感情人間だとか涙もろいって書いてたんだけど、わたしと遊んでたときは全然そんなふうに感じなかった。まあ、ハードテクノのパーティの場所だからそんな風になってなかったからかもだけど(笑)


その人と遊び出すまでは、大好きなロンドンをビジターとして楽しんでいるって感じだった。その人はロンドンのローカルライフを垣間見せてくれて、あ、わたしロンドンをベースに生活していける。生活していきたいって思わせてくれた人だから本当に感謝している。またロンドンで遊ぶの楽しみだな。

そんなわけで、これから週に1回はnoteを更新しようと思う。

ロンドンでのフラットメイトのこともいずれいつかのジャーナルで書くだろうけど、その子がなんでも全てが繋がっているって言ってた。
2023年の10月くらいから、その時のわたしのモヤモヤを払拭してくれるような本に巡り合えている。

先のことを考えると不安で、わたし向き合えないかもって思うことがある。でも、そんなときでも、好きだなって思える本や音楽には出会えるんだろうなって思えるから、自分の心が好きだなって思うものをこれからも大切にしていきたい。

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はるり
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