我何故在?
つい数分前、親父の代理の手伝いをし、祖母の家でカレーを御馳走になり帰宅した。
この時間になってしまった理由は幾つかあるが、一番は仕事が予定を大幅に超えた時間になってしまったことである。
何故超えたかというと、順序の急遽変更や積荷が予定外に増えてしまい一撃で積み切れない量になってしまった等あるが、何より自分の効率の悪さだと痛感している。
二名で現場入りしたため、室内で積荷を解体したり運び出したりする側と、室外で積荷をトラックに積んだり整理したりといった具合で作業を進めなければ効率よく進まないのだが、自分はどちら側に回っても上手く立ち回れなかった。
手伝いに行ったのは片手で数えられる程度だが、正直、思い返せばもっと効率よく進められたのではないか、と思う。
片付けの仕事をしたことはありますか?
鉄とアルミ、真鍮の区別はつきますか?
箪笥を運び出し、引き出しの一つ一つを解体したことはありますか?
炬燵を解体して鉄とそれ以外に分けたことはありますか?
灯油ヒーターを分解してモーターを取り出したことはありますか?
これらを全て経験し、段取り良く進める術を十数年かけて身に付けたのがKさんという人なのだ。この人に比べたら、たかだが数回程度手伝った程度の全く別業界で働く俺がそこまで出来ないことは分かっている。
でも、もう少し要領良く出来たんじゃないか?と考えてしまう。
目処が立たなくなってきた頃、脳内でずっとDEZERTの「排泄物」という曲が流れていた。
情けないことは百を承知で書くが、要領良く、器用に立ち回れる人間が羨ましくて妬ましさすら感じる。自分とは違う世界で生きているとさえ考えている。
自分でも、現状で満足することは絶対に無い。少しでも、誰かの役に立ちたい。その一心で心臓を動かし続けている。
時々思う。それは結局自己満足でしかないのではないか、と。誰かを喜ばせられる自分に酔いたいがために生きているのではないか?それは自分のただのエゴではないか?と。
あの子は言った。「もっと利己的に生きなよ。」と。自分の生き方が分からない。生きる理由を見つけられない。命を絶ってはならない理由がいくつか浮かぶから生きているのであって、何故自分が生きているのか分からない。自分は結局、世に落とされた「排泄物」でしかないのではないか、それしか考えられなかった。
八月から、徐々に職場に復帰していく算段で職場の上司と話を進めている。本当は火曜日に行くはずだった医者に明日行き、その話をして算段通り進められそうか相談しようと思う。如何せん情緒不安定過ぎて、感情の浮き沈みが激しく、「行ける」と思う自分と「無理じゃないか」と思う自分が常に葛藤していて精神的に毎日かなり精神的疲労を覚える。
「明日は明日の風が吹く」という言葉もあるように、明日は今とは全く異なり、良い気分で朝を迎えているかもしれない。もしくは、更に沈んで動けなくなっているかもしれない。そんなことを毎日考えながら睡眠導入剤と共に眠りに就く。そんな日々がいつまで続くのだろうか。いつになったらこの病と決別できるのだろうか。不安を覚えず、希望に燃え、眩しい笑顔で毎日を過ごせる日々が来るのだろうか。現状、そんな未来が全く見えない。
正直、今日の現場でまた色々経験を重ねることができ、Kさんとの話も楽しかった。大まかに考えれば、早起きしてルーティーンの筋トレもこなし、汗水流して働いて、美味しいご飯を御馳走になってと、充実した一日と言えるかもしれないだろう。しかし、自分は全く満足できていない。
自分の弱さ、欠点、情けなさを改めて自覚した一日だった。明日、というか日付跨いでるから今日か。今日はどんな一日になるのだろう。やるべきことはたくさんあり、予定も詰まっている。ちゃんとやり遂げられるだろうか。
常に不安に苛まれる日々に「さようなら」を言える日が来ると信じて、明日もなんとか息をしていこう。見苦しい文章、大変失礼しました。
「違うと願うのは後ろ向きの 唯一の救いであり」
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