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群衆哀歌 07

Before…

【十二】

「お、起きたか。どこ行ってたんだよ、ずぶ濡れで。」
 春の声がバスドラムみたく頭に響く。吐き気はそこまで無いが、とにかく二日酔いのせいで頭痛が酷い。何とか繋ぎ繋ぎ言葉を返す。
「あの後飲み足りなくて、下の自販機でストゼロ買ってストローで飲んでたんだ。出先で知ってる奴に会って、そいつ送ってた。」
「お前、話せる仲いたんだ……。」
「無礼者め、一応片手で数えられるくらいはいるわ。うぇ、頭痛ぇ。」
 すると、春はコンビニ袋からシジミの味噌汁と烏龍茶を取り出した。現ナマで五千円を添えて。
「昨日俺潰れて手間かけたろ、その詫びと宿泊料だと思って受け取ってくれ。」
「……いいのか?俺貧乏人だから貰っちまうぞ。後悔しない?」
「するかよ、恩人だぞ。」
 恩人、俺がそんな風になれたのか。心の中に仄かな温もりが灯った感覚だった。頭痛に悶えながら、ケトルでお湯を沸かし、財布に五千円をしまう。

 朝食は冷蔵庫の中にあるもので春が簡単に作ってくれた。目玉焼きとウインナーにレタスを添えた目玉焼きとシジミ汁。深々と礼をし、両手を合わせて「いただきます」を言って、ここに住み始めて以来初めて誰かと一緒に食事をした。
「お前、いつも一人でそんなやってんの?」
「いや、今日は作ってもらったから。いつもは両手合わせるだけ。」
「奇天烈男め、やっぱお前面白いよ。周りの連中が寄り付かないのが勿体ねぇ。」
 奇天烈男。その言葉で、昨晩の記憶が微かに思い出された。シジミ汁をゆっくりと啜り、春に問いかける。
「お前、アイカって女知ってる?昨日聞こうと思ってたんだけど、お前割と早い段階で潰れたから聞けなかった。」
 春はあぁ、と呟き返事を返す。
「知ってるよ、お前と一緒で有名人だ。ちょい前に編入してきた女だろ、ぱっと見地味な子。うちのサークルの連中がくっついてるのたまに見かけるな。いっつも男といて、女友達からは悪評ばっかり。お前と似てるな。」
 春は茶化すように言ったが、俺は笑えなかった。
「そうだな、俺と似てる。」
「わぉ、また怒られると思ったのに意外。そいつどうかしたのか?噂聞いて一発ヤりたいとか?」
「馬ぁ鹿、そんなん右手で十分だ。」
「なんか、聞いてるこっちが切なくなる……。」
 昨日の記憶が、シジミの殻を捨てる度に一つずつ思い出されていく。少し、頭痛が酷くなった気がした。
「昨夜ストゼロ飲みながら時々煙草吸いに行く廃墟行ったら、そのアイカってのがいたんだ。俺の事は髪型でわかったらしい。」
「お前以外にそんな髪型してる奴いないもんな。」
「だからこの髪型にしてんだけどな。真似する奴出てきたらすぐ変える。」
「まぁまぁ。んで、そのアイカとは仲良くなれたのか?」
 昨晩から春との会話には、霧のように掴めない違和感があった。しかし、今の質問には、それを感じなかった。
「仲良くなれた、のかなぁ。あの子、いや、一個上だからあの人って方が失礼じゃないか。あの人、学校内の評判どうこうとは別の意味でやべぇかもしれねぇ。」
「本人いないとこでも律儀かよ。どういうことだよ?男女ともどもビッチやらなんやら言ってるのは聞いたことあるけど、そうゆうのじゃないって事だろ?」
「うん。どう例えたらいいのかな、罅だらけのガラスの城みたい。何があったかとかは、俺の口からは言っちゃいけない気がする。」
「そっか、なら深くは聞かねぇよ。もうじき学部一緒になるから、どうせ俺とも繋がりできるだろ。キイチの色眼鏡着けて、その人見てみるよ。」
 俺の色眼鏡、いい例えするな。何となく、哀勝という人間は、放っておいたら自然と消え去ってしまう気がするのだ。
「俺とも含めて、よろしく頼む。」
 再度深々と頭を下げた。
「昨日は勝手にしろって言ったくせに。まぁいいよ、こちらこそよろしく。」
 烏龍茶で乾杯し、それからは他愛もない話を続けた。そのひと時は、寒空にたまに吹く南風のような、氷河と化した喜一の心に温もりをくれた。

【十三】

 起きたのは午前十時を回った時だった。昨晩の酒はほぼ全て体内に鎮座していて非常に気持ち悪い。起きてすぐ、何度か吐いた。小一時間程トイレに篭って吐くものを出し切った時、昨晩の記憶が走馬灯のように蘇った。

「キイチ君には、忘れたい過去ってある?」
「あるよ、一つ。吐いても吐いてもすっきりしねぇ。ずっとこびりついてる感じ。」

 忘れたい、消え去って欲しい、氷漬けにしてハンマーで粉々にしたい、ガスバーナーで焼き払いたい、そんな忌まわしき記憶。それの振り払い方が分からない。だから、こうして溶け込むように生きて誤魔化している。
 棚からカップ麺を取り出し、ケトルで湯を沸かして紙パックのミルクティーをマグカップに注ぐ。ゆっくりと飲みながら、換気扇の下で煙草を吸う。吐き気は大分治まり、煙草のほろ苦さとミルクティーの甘みが中和して気分が少し良くなった。

 出来上がったカップ麺を音を立てないように啜りながら、昨晩の記憶を辿る。あの風変わりな男の子も、多分私と似た何かを抱えている。私とは違うやり方で、忌まわしい記憶を思い出さないように生きてる。あの時「軽々しく言うわけではないけど、すっげぇ分かるよ。」と言った時の目に嘘は無かったように思う。
 昨晩の私は疲れ切ってもう全部どうでも良くなっていた。今すぐ世界に「さよなら」を告げて消えてしまっても良いと思っていた。しかし、あの青髪のキイチという男に、ネットワークを構築する為にすり寄った男達とは違う何かを感じたのは確かだった。

「もう少し、生きてみよっかな。」
 そう呟いて、カップ麺の残ったスープを持って換気扇の下へ行き、煙草を吸いながらゆっくりとスープを飲んだ。

Next…


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