群衆哀歌 02
Before…
【三】
染谷喜一に大学で友人ができたのは、大学三年に進級する間際だった。高校まではそう呼べる人間は人並みにいたが、進学して大学一年の半ば頃にスマホを買い替え、キャリアも変更し、過去の人間関係を全て洗い流して清算した。
当初は実家から通える距離だったのでアルバイトをしながら少しずつ貯金して通学していたが、スマホを買い替えた時と同時期に両親に深々と土下座をして一人暮らしを始めた。一人、というより「独り」になりたくなったのだ。決して裕福な家庭では無かったが、俺の覚悟を両親は諦めて受け入れてくれた。「仕送りも何も要らない、自分で全てやり繰りするから」という条件を自ら課したことが決定打だったようだ。
家を出てから、紙煙草を吸い始めた。そして、伸ばしていた髪の内側を刈り上げ、外側を深い藍色に染めた。見ただけでは黒髪に見えるかもしれないが、日光を浴びるとその藍色は鮮やかに映える。私服もがらりと変えた。今までの無難な服は売り払い、独特で大きいサイズの衣類を身に纏うようになった。原宿へ足を伸ばし、「地雷系」と呼ばれるようなジャンルの服も数着購入して講義に臨み出した。染谷喜一の変貌に、当初は声を掛けてくれる知人はいたが、「別に。」の一言で済ませてイヤホンを装着し、近寄る者全てを遮断した。
アルバイト先でも、仕事に関する話は積極的にして効率良く仕事を進めた。礼儀作法は遵守したが、プライベートな関係は一切作らなかった。仕事を効率良く進めるために必要なコミュニケーションは取ったが、食事や飲み会の誘いは全て蹴った。
徹底的に孤独を貫く生活を続けて二年が過ぎようとした冬明け、学校内の喫煙所で染谷喜一に声を掛けた「春」という男は、変貌を遂げて初めてできた友人だったのだ。
【四】
「おい、何度も声掛けてるじゃねぇか。」
肩を叩かれてイヤホンを外すと、凄まじい音漏れをしていた。ご時勢に乗っかって「黙煙」なんて張り紙が張られて、静かな喫煙所にはさぞかし五月蠅かっただろう。とは言っても、俺一人だと思っていたから気にも留めていなかったが。
「あ、わりぃ。何も聞こえなかった。」
声の主は、明るい茶髪に小洒落たピアスをした爽やかな男だった。
「お前滅茶苦茶音漏れうるせぇぞ。それより、何吸ってんの?一本くれよ。」
なんだこいつ、図々しい。眉間に軽く皺が寄った。
「わりぃわりぃ、怒んなって。噂の染谷喜一がいたもんでよ、気になってな。俺の一本やるから。」
見ると、カプセルを潰したらブルーベリーのフレーバーがするメンソールの煙草だった。
「俺ハッカ吸えねぇから気持ちだけ貰っとくよ、ほれ。」
「クラシックか、渋いね。」
こういう奴が俗に言う「パリピ」ってやつか、と偏見が頭に浮かんだが、それ以上に聞き捨てならない一言があった。もう一本煙草に火を点け、話を続ける。
「”噂の”って何だよ、俺そんな目立った覚えないぞ。」
「いや、まず服装の時点で目立ちすぎだけど……。」
「趣味だ、放っとけ。」
「それよりよ、噂ってのは言い換えりゃ”悪評”だよ。突然シカトされて、それから悪いことばっかやってるって。窃盗、恐喝、強姦何でもやるらしいって、あと…」
それ以上言われる前に、喜一は咥え煙草で胸倉を掴み、壁に叩きつけた。
「くっだらねぇ噂バラ撒いてんじゃねぇよ、殺すぞ。」
「落ち着けって、俺じゃねぇって。多分一年の時にツルんでた連中だろ。俺だって一年の頃からお前知ってんだよ。いきなり何か色々変わったなって思ったけど、俺はそんだけだよ。そん時に気分悪くした奴らが有ること無いこと言いまくってっから、悪評ばっか立ってんだよ。」
慌てる男を見て、沸騰した脳味噌は徐々にクールダウンしてきた。まだ数口しか吸っていない煙草を灰皿に投げ捨て、深々と頭を下げた。
「そうか、本当に悪いことした。許してくれ。あと名前教えてくれ。」
「てめぇ、意外と素直だな。俺は春。春夏秋冬の春だ。」
「春、申し訳ない。」
「いいよ、口の利き方が悪かったのは俺もだし。突然そんなこと言われりゃ誰だって腹立てるわさ。お前、硬派だな。」
生まれて初めて言われた。意識したことはなかったが、話し慣れていない相手のはずなのに、口は勝手に言葉を紡いだ。
「ありがてぇ。お前は軟派そうに見えるけど、何か違う気がすんな。」
「そんなことねぇよ。興味の赴くまま生きてるだけだ。今日この後暇か?」
「講義が夕方まであって、あとは特に。バイトも今日はねぇ。」
「そっか、良かったら飲み行かねぇ?お前、面白ぇよ。」
「俺が店決めていいならいいぞ。俺はそこでしか飲まないから。」
「構わねぇよ、とりあえず連絡先教えてくれよ。」
今までバイト関係と、極稀に家族にしか連絡することのなかったメッセージアプリに、初めてバイト関係でも家族でもない人間が登録された。「ハル」。
適当なスタンプを送って、互いに登録完了した。
「喜一、お前のアカウントめっちゃ不気味だな…」
「趣味だ、放っとけ。講義終わったら電話するわ。」
「さっきも聞いたなそれ。おっけ、それまで適当に珈琲でも飲んで時間潰しとくよ。んじゃ、後でな。」
春と手を振り合って喫煙所を後にした。淡く甘酸っぱい懐かしい風が胸の中に吹いた気がした。同時に、忌まわしい記憶がフラッシュバックし、便所に駆け込んで吐いた。
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