「変化」
珍しく昼食を、きちんとしたレシピを見て作った。特に深い理由はなく、先日後輩が一品作ってくれた時に残った茄子を消費しようと思っただけだ。この時代、食材名二、三個打ち込めばそれで作れるレシピがすぐ見つかる。米の残り半分は夕方の筋トレ後と決めているので、自ずとパスタに絞られたが、割と簡単に作れた。
料理は趣味と呼べるものの一つである。療養休暇を取得してから、料理の腕前が上がったことは自分自身実感している。それが、最近は朝米を一合炊き、朝と夕方の筋トレ後に半分ずつ。昼はレタスに胡麻ドレをかけるのみか、気が向いたらパスタを五十グラムほど鶏肉と一緒に茹で、パスタサラダにしてみる程度。
かつて、夕飯に一人で米を三合食し、朝抜きで昼過ぎにパスタを三百グラム茹でて一人で平らげていた男が、随分少食になったものである。
別れ話を切り出し、その後八日間絶食状態に陥り、体重が十六キロ落ちた。殆ど筋肉が消え失せた。このままでは大好きな野球に響き、まずいと思ったのと、純粋に少しでも自分が好きになれるように、今まで億劫がっていた筋トレを始めてみた。時間を持て余していることもあり、未だに毎日朝夕続いている。
かつてSNSで知り合い、同じ県住みということで一度だけ会った友人が、「痩せる時は後からついた余分な脂肪が先に落ちるらしい」ということを教えてくれた。道理で疲れていると「痩せた?」とよく聞かれるわけだと妙に納得した。俺の場合は腹回りにどっしりと脂肪がつき、その後顔についてきたからだ。顔の脂肪はほぼ無くなったようで、久々に会う人からは「顔、シャープになったね」と言われる。少しずつ腹回りも落ちてきたようで、スーツやワイシャツがゆったり着れるようになってきた。八十三キロまで落ちた体重は、今大体八十六キロ前後。腕立ても、四回から十八回までできるくらい復活してきた。腹回りも、友人と温泉に行くと「少し引っ込んだね」と言われるようになった。
こう考えると、俺の身体は良い方向に「変化」しているのかもしれない。しかし、食に関してはどうなのだろうか。同じ分類の病を患う友人が、「食に関心がなくなった」と言っていたが、まさにその状態なのである。
今まで、ラーメン屋の看板を見かけたり、コンビニで新しいカップ麺やレンジ麺を見かけると、「美味そう」と思ったものだが、今は全く思わない。陳列されているおにぎりやパンを見ても、空腹を感じること自体ほぼなくなったので何も感じない。空腹を感じないだけで、食事時になれば食事は摂れるし、何なら「これ美味いな」と思うこともちゃんとある。でも、「別に食えれば何でもいい」というのが本音なのだ。だから、毎日同じようなものを食べ続けても飽きることはない。
二十一の時に長期の半絶食状態に陥って体重が四十六キロまで落ちた時は、食事に対して嫌悪感すら抱く程だった。気持ちが微かに浮かび上がった時に食事を摂る程度で、基本的に煙草と飲み物しか受け付けなかった。それが落ち着いた時、「美味しいものを食べられるってどれだけ幸せなことか」と好きなものを好きなだけ食べていたら、身体は栄養を相当欲しがっていたようで、体重が倍になった。三桁に突入したこともあった。
今の俺は、何を考えて生活しているのだろうか。そこがよくわからない。仲間とゲームを一緒にやれば「楽しい」と思う。一人でさっきもやっていたが、やはり好きなゲームをしていれば「楽しい」と思う。だが、一度スイッチを切ってしまうと、再びスイッチを入れることに何か抵抗のようなものがある。結局、アイマスクとイヤホンを着けて現実逃避の仮眠。適当に作ったものが美味しければ「美味い」と思うが、そもそも「美味い」と思えそうなものを作る気力が無い。
この場所を数名に教えたが、折角書いたものだから目を通してもらえると嬉しい、と思う反面、結局自己満足の世界だから見なくても構いやしない、と感じる自分もいる。何考えてんの?知るか。分かれば苦労しないし、そもそも苦労してる訳じゃねぇ。
よくよく考えたら、先輩や大先輩、上司が読んでいるかもしれないのだった。口調には少し気をつけなければ。笑
とまぁこんな調子で、俺は心身共に「変化」を続けている。唯一つ、今日嬉しかったことは、後輩からのお遣いを遂行できたことだ。慌てた様子で電話してきて、「九時半までに指定のコンビニで弁当を注文してきて欲しい」とお遣いを頼まれた。平日のこの時間、家で何をするでもなく過ごしているのは俺しかいないだろうと思い、時間にも余裕があったのでちょっくら車を走らせて行ってきた。さっき電話が来て、「一応コンビニに電話で確認したら大丈夫でした。助かりました。」と報告をくれた。誰かの助けになれることは、やっぱり嬉しいもんだ。これが俺の「利己的」だ。
少し早いが、四時半くらいから恒例の参拝に行こう。何度か友人と初詣にいった神社がある。母に倣って、神様とお話に行くのだ。母は毎日飼い犬の散歩コースに入れて参拝しているようだが、俺は毎週月曜に行くと決めている。「先週はこんなことがありました。」「今週はこんなことがあります。」「こんなことが嬉しかったです。」「こんなことで悩んでいます。」等…、両手を合わせて目を閉じ、心の中で一方的に神様にお話をする。ご利益を期待するわけではないが、どうせまだ復職まで二十数日ある。週一回くらい、こんな日があってもいいんじゃないかな、位の感覚。
初めて一人で参拝した時、五円玉が無かったので、五十円玉を入れて、三つのお願いをした。二つは儚く散ったが、一つは叶ったと思う。そのお礼も兼ねて、毎週月曜日はそこへ行こう。
最後に、この場所を俺から直接教わって目を通してくれている方々へ。お忙しい中こんな駄文達に目を通して頂き、本当に感謝しています。私から教わった人は、別に誰かに「アイツこんなん書いてるんだぜ。笑」なんて言いながら他の人に教えても全く構いません。お時間を貰えるのであれば、今後ともよろしくお願いします。
私をフォローし、私の記事を読んでくれている本名も顔も知らない方々へ。何かの御縁で繋がれて嬉しいです。「スキ」を頂いた時は、更なる喜びに満たされます。元々書くことは好きだったので、それが形になったものに「スキ」を押してもらえた通知が来た時、素直に「嬉しいなぁ」と思います。今後とも、お付き合いいただけると幸いでございます。
今回の一曲はDEZERTの「ヘドロママ」。もう一曲と迷いましたが、迷ったもう一曲はもっと落ち込んだ時に紹介したいと思います。そんな時が来ないといいな、という小さな思いを抱きながら。
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