見出し画像

からっぽの大人とWurtS

はじまりに

2023年3月28日に坂本龍一さんがお亡くなりになられた。
YMOとしても個人としても多くの曲を作られ、私はその中でも東風が大好きでした。
その坂本龍一さんが作曲、中谷美紀さんが歌われた「砂の果実」という曲がある。
その歌詞の一片をnoteのタイトルに入れたのは、気がついたら自分がすっかりかつて(歌詞の中の表現で言うならば『あの頃』)の自分が嘲笑っていたような、からっぽな大人になっていたこと知ってしまっていたなぁってしみじみと実感したので。


20230404

WurtSというアーティストの存在を知ったのは恥ずかしながらSAKAMOTO DAYSとのコラボが決まってからだった。
4月4日のSAKAMOTO DAYS複製原画展に浮かれていた私は動画を恰好いいなとかる〜く流し見ながら「低めの気だるげな声が好み」「楽曲がなんかお洒落」程度の関心しかなく、原画展に浮かれまくっていた。待ちに待った複製原画展やったのでこれはもう仕方ない。
6/5のコラボイベントについても4月4日の時点では「WurtSファンに申し訳ないしニワカなので当たったらいく」位の気持ちでいた。しかしDLしたBORDERを毎日通勤時に聞き続け、鈴木先生のお勧めの曲を聞き、丁度METROCKの配信があったので見た結果、見事にすっ転んだ。

そう、すっ転んだ。

若くて元気で勢いがひどい時は毎週のように日本全国津々浦々、ライブやフェスに行っていた。さすがに年を取って近年は落ち着いてはいたものの、それでも年に何度もライブやフェスに行く。

そんな生活が一変した2020年。

そこから3年。

昨年末にようやくCDJに久しぶりに参加してライブっていいものだな、と再確認した。
だからと言って新しい音に触れるという生活を全くしてこなかった3年は自分が思っているよりもありとあらゆるモノへのアンテナを鈍らせていた。
ライブハウスやフェスの鼓膜に、身体に直接響いてくる生の音が好きで、大画面が襲い掛かってくるような空気感の映画館が好きで、指で薄い紙を捲ることができるように大好きな本は電子だけじゃなくて紙媒体で保存しておきたくて、美味しいお酒と美味しい料理を満喫するために列車や飛行機に乗って旅行に行くのが好き。

そんなアナログな人間だった私にとってコロナの3年間は本当にしんどかった。ありとあらゆる感覚が鈍麻している自覚もなかったけれども。でもそうでもしないと自分を守れなかったのかもしれない。
Youtubeやフェスの配信で生かされてもいた。
でも動画というコンテンツにそこまでのめりこむこともできず、好きなバンドの動画をたまに見ることと、猫の動画を見て癒されること位にしか使っていなかった。サブスクも現物としてのCD欲しいしなぁ。なんて変な言い訳を自分にしながら導入することもせず。当然tiktokは存在は知っていても見ようともしなかった。
そんな私が唯一新しい情報の入れ替わりを楽しんでいたのが週刊少年ジャンプで、その中でもSAKAMOTO DAYSにハマっていた。

そして、WurtSという存在を知ることになる。


おかしくなってた六月

大学生。21歳。WurtSという名称でソロプロジェクトだけれどもバンド。短い動画を投稿したことで人気がでた、らしい。
私が全く通ってこなかった界隈、通ろうともしなかったところであるからか、知れば知るほど「面白い」という印象がどんどん深まっていく。
人間性にそこまで興味はないんだけれども、フェスのMCとかいくつか読んだインタビューなどから誠実そうな人柄が読み取れる。
そして何よりも楽曲のセンスが格好いい。歌詞に余り興味のない私は、でも音のリズムであったり流れというものはとてもこだわりがあって、ここらへんの塩梅が我ながらちょっと面倒くさい。
WurtSくんの凄いところは平沢進さんの歌詞みたいな言葉選びのセンスとそれに合う音の選び方で、本当に持って生まれた才能とそれを磨き続けたであろう努力の賜物なんだろう。
そんな風にすっかりほれ込んでしまった私に6/5のイベントのInvitationと書かれた葉書が届いた。
これはもう、行くしかないでしょ!
そんな風に勢いがついた結果、行きました。
6/4ミリオンロック@金沢と6/5WurtS×SAKAMOTO DAYS@Zepp新宿と6/26LIVE HOUSE TOURⅠ@BIG CATへ

打ち込みと生の音のバランス。覆面にうさぎというステージ上の華。サポートメンバーの演奏の安定感。MCでの少し舌っ足らずに感じる声と誠実さが垣間見える話。

ネットから始まったWurtSという存在が現実にあることを確認したい。そう話していたWurtSくん。あの場所にいたみんなはしっかり感じられていたんじゃないかな。

ブリキのきこり

すっかり自分が何もかもに無関心な、過去の思い出ばかりに囚われているからっぽな大人になってしまっていたことを自覚させられたWurtSくんとの出会い。
あの頃のライブハウスやクラブはこうだったとか、あの時のバンドのあの曲が最高だったとか、前までとはすっかり方向性が変わっちゃったからなぁ、とか。思い出はきれいに見えるそうだけれども、自覚のないままどろどろ汚泥に沈んでいっていたようにも感じられる。
そういう諸々を経て、すっかり薄汚れた大人になった私の中にはもう何も詰まっていなくて。
からっぽのブリキの木こりみたいみたいなものだけれども、ここからまだまだ人生楽しんでいこうと思えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?