心のどこかに魚の小骨
これまでの人生で1番好きだった人が今度結婚するらしい。
何の話からだったか、結婚指輪を決めたという話で察した。恋人の存在はもともと知っていたのだし、というかそもそもわたしを振った理由はその女の人だった訳だし、お付き合いが続いていると聞いていたからいずれは結婚するのだろうと思っていたはずなのに。どうしてか、驚いてしまった。そして具体的にぽんぽん挙げられるジュエリーブランドのなまえにクラクラした。そんなの、もともと気にするタイプじゃなかったじゃないですかあなた。
どんな相手かと問われれば、早い話が元恋人である。それも引っ付いたり離れたりをかれこれ5年近く繰り返していた相手だ。5年という歳月は我が人生のおおよそ1/5にあたるのだと思うと驚いてしまう。
世界で1番好きだった頃も、世の中の誰よりも激しく深く憎んでいた頃もある。こんなに極端に振り切る相手もそういないのではなかろうか。今となってはおそらく「友人」という関係性が最も近いのだけれど。
念のため記しておくけれど、もう一切の未練はない。
寧ろ結婚すると知ったときに未練がないことを確認できたような気がして安心すら覚えた。振られた直後に1年近く縁を切っていた期間を経て、友人という立ち位置に落ち着いて以来、ずっと穏やかに純粋に楽しく関われるようになった相手だった。わたしには別の恋人がいるし、なんならその人と結婚の話が具体的に挙がっている。今以上の幸福はない。彼以上に好きな人はこの世にいないと迷いなく言える。彼がこの人との関係を切ってほしいと言うなら、即座に全連絡先を消せる。それくらい今が1番大事で、この人ではない恋人を愛おしく思っているのに。それなのに、それなのに。
ふと連絡を取らない期間が続いたとき。
ああ今、隣にお相手がいらっしゃるんだろうなと分かるようなSNSを目にしたとき。
そして今回みたいに、結婚すると知ったとき。
そういうとき、どうして少しだけ感情は動くのだろう。
ロウソクの火が風でゆらりと傾くみたいに。レシートくらい小さな紙屑を潰すみたいに。喉の奥に魚の小骨が引っかかったみたいに。それはちいさな、ごくちいさな動きなのだ。小さな、でもはっきりと動く何か。
大事な異性の友人は他にもいる。他にお付き合いをした相手も。叶わなかった恋愛だって。それなのに、どうして。
この人が異性じゃなかったらどれだけ良かったろうと、友人として関係性を修復してから何度も考えた。
異性だとしても、もうすこし違う形で出会いたかった。友人の彼氏とか、恋人の友人とか、あきらかに何かが始まらないような関係で。誰かを1人隔てた距離で。始まってほしくなかった。恋愛感情をどちらかが抱いた時点でもうそれは単なる一友人とは違う場所になってしまうのだ。たとえそれがティースプーンひと掬いほどの僅かな感情だとしても。
それなのにお互いそんなふうに思ってしまったのが沼みたく長い年月だったら、そりゃあどうしようもない。どこまでいってもお互いにとってわたしたちは「互いの手を離した相手」になってしまう。
これだけ話が合い、お互いがどう考えていてどう苦しいのか、どう喜んだのか手に取るように分かるほどの相手は、ずっと友人でいてほしかった。
ああそうか、書きながらやっと分かった。
ざらりとした心の揺れ動きはきっと、ありもしない、存在しなかったこれからを一瞬思い描いたからだ。
わたしはこの人とずっと友人でいたかったのだ。
もし、わたしと続いてたらどうなってた?
どんな未来が待ってた?
わたしたち、結婚していた?
そうあってほしい訳ではなく、今のこの溢れんばかりの幸せを離してたまるかと大事に強く抱きとめたうえでそう思うのだ。起こりうる訳もなければ、起こしたいとも思わないくせに。嫌だな人間って。こういうところ。
こんなにもこの人とずっと友人でいたかったと思うけれど、過去に大事だった人である事実を後悔している訳ではないのだ。嫌な思いも、悲しい思いも沢山した。勿論あちらに嫌な思いも沢山させたろうし、わたしばかり被害者な訳ではない。付き合うって、そういうことだ。
人としてとても好きで、でももう二度と友人という枠からはみ出たいと思う人ではなくて、でもそれがいい人。もしいつかパッタリと関係性が予告なく途切れたとしても、美しい思い出であり続けるのだろう。結婚すると知ったときに得た感情を含めて。この人と出会えたことにわたしはとっても感謝している。
大事な友人、お誕生日おめでとう。
すこしフライングだけど、結婚おめでとう。
いつまでもお幸せに。
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