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「治る」ことのない世界で

きっかけは、夫が買ってきてくれたからあげクンだった。



……レギュラーってこんな味なんだ?

仕事が長引き、帰宅が22時近くなるような日に、夜ごはんとしてからあげクンを食べることがある。柑橘系フレーバーが好きで、レギュラーを自身で買った記憶はない。それゆえに、ただ味がしっくりこないだけかと思っていた。
美味しくないというほどではないけれど、他のフレーバーに比べたら風味が乏しいというかなんというか。とはいえ久々に食べるそれはありがたく、他の味がわたしは好きなんやな〜なんて思いつつ夜になり、これまた食べ慣れているはずの冷凍坦々麺を食べて、急に気付いた。


味覚と嗅覚が、ほとんど機能していない。

コロナウイルスに感染して3日目。自宅内隔離生活を送っている最中のことだった。一食目ではよく分からず、二食目にしてやっと己の異変に気付いたというわけである。風味が乏しいのはカラアゲくんのせいでは決してなく、わたし個人の問題だった。よかった、ローソンはやはり正義だ。いつもあんなに美味しいのだから。

とはいえ、本当に?と疑う気持ちは拭えない。試しにお気に入りのぬいぐるみをスン、と嗅ぐ。お気に入りの香水を手首に振り、これまたスンスン嗅いでみる。……駄目だちっとも分からない。味覚はまだしも、嗅覚とは厄介なもので、言語化し難くて記憶を呼び起こしにくいことに気付いた。「ミルクティーみたいな」「柔軟剤みたいな」は、嗅いでみないと想起できない。


調べてみると、軽度であれば半年程度、中等度から重度であれば発症後半年ほどで改善が始まるらしい。全体の8割程度は改善するものの、完全に治らない場合もあるのだという。かと思えば欧米のデータでは、一週間ほどで7割近くが改善したという話もある。原因自体、仮説こそあれどコレという確定には至っていないそうなので、「全体的になんとも言えない」というところなのだろう。そうかあ。


翌朝、起きてすぐ鼻の通りを確認する。一時期に比べて鼻で呼吸ができるくらいには改善している。もしかして、と思いながらまたお気に入りのものたちを嗅いで、_________やっぱり、分からない。昨日の朝まで喉が痛いながらにも美味しく食べられていたものたちは、急にボソボソとした何かに変わり果てていた。
日が昇る前の部屋は薄暗い。たしかに光は差していて、部屋全体を見渡すことはできるのに、色がない。味覚と嗅覚も、それに近いと思った。
80%ほど彩度を下げたような世界観。完全にモノクロなのではなく、なんとなく、「ここは多分緑」「ここはきっと赤」と想像できなくはない。けれど確証はなく、かつての記憶を辿ってしか照らし合わせることはできない。


自分のことを棚に上げて、あ、と考える。
患者さん、大丈夫かしら。

普段、病院で言語聴覚士という仕事をしている。
ザックリといえば、コミュニケーションと食事に関するリハビリの仕事だ。患者さんとして関わる方のほとんどは、程度に差こそあれど、コミュニケーションか食事のいずれかに困難さを抱えている。
院内で感染が広がるなかでわたしも感染してしまい、自宅内隔離期間なのだ。だからその後の詳細は知らないけれど、すでにもう知っている何名かは陽性となっていた。

どうか神様、と願う。
どうか、彼らからこれ以上何かを奪わないでください。

首を振ることでしか意思疎通が叶わないような方。

あれやこれや話せど意味を持つ言葉は出ず、何かを伝えるには難しい方。

身体の半分が重い麻痺で動かせず、寝返りひとつ打つことも難しい方。


関わっている/関わってきた方々の全てでは無いとはいえ、そんな方々と何人もご一緒してきた。今だってそう。毎日瞬きひとつ、目線の動きひとつから何か訴えたいのでは、と推測し、手を伸ばしては上手くいったり、いかなかったり、そんな日々だ。
彼らはもうすでに、ある日突然何かを失うことの不自由さを知っている。わたしの味覚や嗅覚など比ではない苦しみとして。そんな彼らが「味覚や嗅覚が機能しない」ことを他者に伝えることは難しい。そのことが、一番こわい。


わたしは自分が嗅覚と味覚が機能しなくなって、初めて「こういう感じなのか」と分かった。コロナに感染すると嗅覚や味覚に支障をきたすということは知識として知っていたけれど、それがどういうことなのかは分からなかった。今それが、やっと分かる。人は、我が身に起きたことしか知り得ない。しかも、同じような経験をしたとて「分かる」訳ではない。程度も、受け止め方も、苦しみも違うのだから。だから、決して「分かった」なんて烏滸がましいことは口が裂けても言えない。


想像する。
ある日ふと目が覚めたら、急に言葉を失っていることを。片方の腕が動かなくなっていることを。一人で自由に立ち座りができなくなることを。
そして、決して「治る」ものではないということを。想像できない位置にある苦しみがそこにある。

リハビリは、「治す」ためのものではない。そもそもの語源がre( 再び ) + habilis( 適した ) なのだ。自由に操れなくなった腕や、足や、言葉は、「病気が無かったことに」なることは難しい。そうではなくて、「再び適した」状態に近付けることとされている。そこがもどかしく、難しい。


退院したらすべて無かったことになる訳ではない。悲しみや苦しみは続く。病院を出た後の話を風の噂で聞いて、泣いたことも数多くある。けれど、「なんとかなってる」と快活に笑ってくださる方の存在は光だ。それは間違いなく、その方の強さなのだけれど。

「右手がさ!ほんと使えねーの!言うこときかねーんだよなあ!でもほら!ここまで上がるようになったから、この前行ってきた!頭も頭でついてこねーから困るよなあ!でもまあなんとかなったわ!」と言いつつ、趣味を謳歌している写真を見せてくださった方がいる。

「この病気っつーのはね、しゃーないですよほんと。タチ悪い地元のダチみたいなもんだと思ってます。でも、しゃーねえから一生付き合ってくぞ〜って感じですね」と、ケラケラ話してくださった方がいる。

ご退院した後も通院で通う患者さんとご一緒するようになってから、見える景色は増えた。「治る」ことのない世界で、「でも」そんな自分と向き合っていく方々と関わるたびに励まされる。もちろんそんなふうに前を向けることばかりではない。そんなのは綺麗事だ。けれど、その「でも」の続きが引き出せるなら、嫌な思いだって一緒にしたい。

だから、早く仕事がしたいと思うのだ。彼らが見る「治る」ことのない世界の先に、どうか光が多く待っていますようにと願いながら。


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