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ほんとうはすべて、永い手紙だったのかもしれない。

*) 文章で2020年を振り返る

1年前は夢にも思っていなかった年末を迎えようとしている。良くも悪くも思い描いていた1年後とは違っていた。1年前のこの日は職場の先輩とお酒を飲んでいたのに。いつになったらまたそんなふうに居酒屋でごちゃごちゃ交わりながらお酒を囲めるのだろう。わからない。

そんな中で起きた嬉しいこと、苦しいこと、心を動かしたことをnoteにちまちま綴ってきた。長いものも短いものもある。届けと思ってもあまり伸びなかったもの、自分の内省の吐露として書き留めたはずが、思いもよらぬほど反応をいただいたもの。不思議だ。


ということで、N-1グランプリなる自薦タグを目にしたので、こっそりすこしだけ乗っからせていただくことにした。とはいえ10本は選べないので、1年間に書いたnoteの中から5本選ぶことにする。時系列ごとに挙げさせていただきたい。

( 目に留まるものがあれば、読んでいただけると嬉しいです! )

1) 3月29日と、拝啓、10年前の私へ 

自分の誕生日に綴った話。

23歳というのは、個人的にとてもメモリアルな年だった。それは13歳から10年という節目の年だから。村上龍が書いた「13歳のハローワーク」で見つけた、言語聴覚士というなまえ。その職業との出会いが、まさか13歳のわたしをこんなに引き寄せるとは。そしてまさか、ときめくままに、東京にまで出てくるとは思ってもいなかった。

最近お仕事のことで悩むことが増えて、そのたびに何度もこの道で正しかったのか考えている。答えは出ないけれど、自分でもこのnoteを読むたびに、10年分のわたしのために今はもうすこし頑張ってみようとおもう。

2) 6月10日と、マジックアワーのド真ん中にいる

カツセマサヒコの「明け方の若者たち」を読んでしゃくり上げながら泣くほどに心を掻き乱された話。

この物語はきっと、読者それぞれが「自分の物語だ」と思っていたのだろうけれど、わたしもその内の1人だった。すごく好きで、でも好きでいるのが辛くて辛くて仕方がなかった人がいて、沼のような恋愛をしていた時期が5年間ほどあった。そんな彼のことを思い出しながら、どのnoteよりもどうか届いてくれと強く思いながら書いた。どうにかネタバレにならないように、涙でぐしゃぐしゃになったままの顔で書いたことを覚えている。

3) 『ここを通り過ぎていくあなたへ』: 2 最期の選択は誰のもの?

だいすきだった患者さんの、生き方と死に方に悩んでいたときの話。

仕事上、他人の人生の大きな岐路に立つことが多い。まだプロになりきれていないなと思ってしまうけれど、正直そのたびに苦しくなる。過去にも綴ってきたけれど、良くなってほしいというのがどれほどエゴでしか無いのかということ、わたしはただのオマケに過ぎないということをずっと思う。もう何ヶ月か時は流れたけれど、未だに答えは出ない。

4) 8月29日と、嫌いなことの名人になる

お付き合いを始めてかれこれ半年以上が過ぎた恋人に、苦手なものこそ楽しく向き合うことの大事さを教えてもらった話。

彼は、好きなものの趣味は合わないけれど、食べたい物とライフスタイルに抱く価値観はびっくりするほど一致する人だ。穏やかにしなやかに、かつ豊かに。ふたりで、生きていけたらいいなあ。この人と出会えたことが、今年起きたなかで1番ハッピーな出来事だったと心から思える。

5)9月23日と、家族全員で白衣を着て写真を撮ったあの日のこと

noteの女王こと、岸田奈美さんのnoteを読んで悲しくて号泣した話。

やっぱり今年はなんといっても、新型コロナウイルスが猛威を奮って生活を変えてしまった年だった。両親と同じ医療従事者になるという道を、初めて激しく後悔した。それでもやっぱりわたしはこの道を選んで良かったと思いたいのだ。誰かと暮らすということ、暮らさないということの選択に、どんな意味があるのか考えさせられる1年だった。それでも変わらず日々は流れていくし、というか流すしかないのだ。ということで、わたしは大晦日の明日も、元日の明後日も働くことにする。あれ、仕事納めとは??????

*)ほんとうはすべて、永い手紙だったのかもしれない。

もともと創作で文を書くことが中心だった頃から、ドの付く遅筆だった。だからきっと他の人からしたら少ないけれど、わたしの中では久々によく書いた1年だった。そしてなにより、こうして自分の身に起きたことばかり書き記すのは新鮮だった。

この1年はきっと、ある人に向けた手紙のつもりでわたしはずっとこのnoteを書いていたのだとおもう。その相手は先述した、沼のような恋愛をしていた彼だ。

LINEやTwitter、Instagram、Facebookまで、なんならSpotifyやfilmarsに至るまでありとあらゆる媒体で繋がっていたその人を片っ端から切ったのが去年のクリスマスのこと。そのあとしばらくして、noteのフォロワー欄にだけ彼の姿が残っていることを知った。ここ1年noteで文章を書いていなかった人だったし、正直まだ利用しているのかも分からなかった。それすら知る術を絶っていた。だから頭の片隅に置きながらも好きに書いた。でも頭の片隅にはいつもちょこんと住み続けていた。

彼の書く文章が、選ぶ言葉が好きだった。そんな彼が言葉選びが上手だよねと言ってくれたのが嬉しかった。だからここで書いた。届いて欲しくて。ちゃんとあなたがいない日常も進んでいて、きちんと幸せなのだと知っていてほしくて。それはわたしを選んでくれなかったことに対する最大かつ幸福な復讐であったり、それでもやっぱりとても特別な存在であることに感謝したりするものだった。
沢山の手紙を書いたし手紙を貰ったけれど、こんなふうに頭のなかを曝け出すみたいにして綴る日常は初めてだったろうから。変わらず読んでくれるとうれしいなあと思う。( あと、書いてくれたらもっと嬉しい〜!と思い続けているけれど…期待はしないでおく )

自分のなかで色々と区切りがついて、つい最近また連絡を取った。note、読んでたよずっと、と言われて、心がひゃあっと悲鳴を上げた。読んでほしくて書いていたはずなのに、いざ届くとなると恥ずかしいような気持ちだった。でも、書いていて良かった。

これからも、日々に溢れる由なしごとを綴っていきたい。と、ここまで書いてもう睡魔との格闘が限界なので、わたしは明日の仕事に備えて眠ることにする。

グッバイ2020!待ってろ2021!

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