おやすみ日記 10月後半
noteでは何かひとつのテーマに絞ってつらつらと綴ることが多くて、ずっといろんな方の日記に憧れていた。誰かのたわいもない、けれど愛おしい日々がすきだ。わたしの休日もそうあってほしい。そう思って、いつまで続くかは分かりませんが、気が向くままに覚えているかぎり、綴ろうと思います。好きなところだけつまみ食いしていただけたら幸い。
10月前半の日記はこちらから。
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10月19日
夕方から友人と飲む。
とても親しい人なのだが、ライフプランやキャリアプランにズレが生じてきており、こう、なんというか、じ、人生むずかしい……!となりながら帰宅。そんな中でも「今付き合ってる人には食べたいものが素直に言える」と話しており、よかったねえとなった。いつまでも同じトーン同じテンションで永く付き合える人ばかりでないことは分かっているし、波のように近付いたり離れたりするものなのだろうなと思っている。でも等しく、幸せであっておくれね、とは思うな。
帰宅してから夫と人間関係について話が盛り上がり、2時間ほど話す。「人生のタイムラインがズレると関係は離れる」という、夫の言葉に大共感した。改めて、人生、むずかし〜
noteお友達であるよさくさんがよく話す表現に「心のおうち理論」というものがある。自己開示の方法について話したもの( と、解釈している ) であり、人には人の心の開きかたがある。みんな等しくウェルカム!みんなにリビングや玄関( 表層的な部分 )も、寝室( 深い部分 )も見せちゃうよ!という人もいれば、リビングまでは友好的だしなんならお茶なんか出すけど、あ、寝室はちょっと入らないでいただけるとね、すみませんね。という人もいる。
夫に比べてわたしのほうが表層的にひらく部分は大きく、ゲストに対するもてなし方も盛大だ。その代わり、一度でも心を閉ざすと迷わず勢いよく心のシャッターを下ろしてしまう。対して夫は人当たりこそ良いものの、基本的に自分から自己開示はしない。けれど心を開いた相手に対しては、たとえ法を犯すとしても忠義を全うしてしまうかも、と言っていた。人情ヤクザタイプ、という表現に笑う。
人付き合いは難しいし、基本的に友好的そうに見せかけて人間関係に対して猜疑的な我々がこうして夫婦になれたことは奇跡的だねという話をした。
10月20日
シフト上、ぽっかり生まれた土日の二連休。お天気も良かったので、近くをサイクリングで巡る。Googleマップで調べていたら気になった、と夫が話してくれた洋食屋さんでお昼ごはんを食べた。アボカドとエビのグラタン、自宅では面倒で作らない組み合わせだ……と思うだけにうれしい。
普段行かないエリアの商業施設に出向き、あそこ見てみようここ行ってみようと計画して向かったが、夫がすこし調子を崩し、スタバで休憩する。仕事が立て込むと、たまにこういうことが起こるのだ。そのあたりの対応は本人が慣れている。
少し休めば回復するというし、せっかくここまで来たのに自分に合わせて何も見ずに帰るのは申し訳ない、一人で好きなように見てきてほしいと話すので「代わりに行ってたお店、見てくるね」と話して少しのあいだ別行動。夫はもともと持病があり、体がピンピン強いほうではないので慣れているが、心配は心配である。それに、韓国旅行でも同じように急に一人旅が始まったところは若干のデジャヴ感がある。慣れつつあるが、うっすらと「老後もこんな感じなんだろうな……」と思う。早く体調が落ち着きますように。
少し座って休んだら回復した夫と再合流し、本を読んだりゲームをしたりして過ごした。
10月26日
先日の体調不良を踏まえ、定期受診を一週間早めた夫と朝から別行動の日。お気に入りのパン屋さんまで自転車で行き、帰り道で選挙へ。お蕎麦屋さんで夫と合流する。大したことは何もないけれど、穏やかで心地よい休日。こういうのがいいのよ。あったかいお蕎麦が美味しい季節になっており、時の移り変わりを感じる。
夜は夫が頼んでくれていたふるさと納税に便乗させてもらい、いくら丼を食べる。ふるさと納税、毎年時期をずらしながらそれぞれでいくら・ホタテ・カニ・みかんなどを頼むことが多い。去年は微妙に余ってしまった予算で、障害福祉サービスの事務所の焼き菓子詰め合わせを頼んだ。なんだかんだ食べたいものもそうだが、お金を託したいところを基準に選びがち。今年は岩手かなあ。
10月28日
たんまりと寝たはずなのに、なにもやる気が起きない。前日も布団に吸い込まれるようにして22時頃には寝てしまったような気がするのだが、朝まで一度も起きなかった。起きたら夫はもう家を出ており、普段ならぼんやり分かるドアの音すら気にならないほど寝ていたことに気付く。にしても、何もする気が起きない。気晴らしに一人でカラオケに行く?思いきって都心へ出て、冬のコートを探しに行く?まだ行ったことのないお店を開拓してもいいし、と自分にあれこれ選択肢を与えてみるも「何もしたくない……」という気持ちが勝ってしまい、再び布団の中に潜る。こりゃダメですわ。8時過ぎには起きてコーヒーを飲み、いつも通り朝食を済ませたというのに全然スイッチが切り替わらない。今日が休みでよかった。
しばらくするとお腹が空いてフラフラになってきたが、家には大した食材が無かったので観念して家を出る。ふとお寿司食べたい、と思い自転車で回転寿司へ。頭が働かないなかでボソボソと食べるお値打ちのお寿司、違う美味しさがある。
「体調どうですか?こちらは気圧にやられまくって駄目です。最低限の仕事を済ませたら帰ります」と送られてきた夫からの連絡で、すべてが気圧のせいと知る。そういえば心がおしまいになっている日はサッサと気圧を確認する癖がついていたのだが、それすら頭から抜け落ちていた。こりゃしゃーないですわ、という気圧の具合を確認し、自宅に戻ってこんこんと眠る。ゴミ捨てや掃除機や洗濯物や、かろうじて「何もできない1日だった」とならないために、身の保身みたいな家のことだけを済ませてとにかく寝た。最近わりと精神的に安定していたのでこんなにズドーンと来るのは久々。
会いたい人たち何人かに会う予定を取り付けたり、そろそろ会いたいですと送ったりする。明日以降に約束を取り付けることで保たれる心がある。
10月30日
この前の休日のしんどさが嘘みたいな朝。やはり人間、ホルモンバランスと気圧の手のひらの上で転がされている説。やりたいことがぽんぽん浮かぶ。
とりあえず家でできることから、とPodcastやラジオを聴きながら、洋服の棚卸しをした。
ここに書いていたように、今年から持っている洋服をすべてスプレッドシートで管理している。夏物は洗濯して仕舞い、秋冬物を出し、としていたら季節を跨いでもまだまだ着られるものとそう着なかったものがちゃんも整理されるのでうれしい。断捨離したり、来年の断捨離候補をリストアップしたりして必要な冬物を検討する。去年間に合わせで買った黒のロングコート、今年はここぞというものに出会いたい……!
気持ちそのままに買い物へ出て、ふらりとサイゼリヤへ。ミラノ風ドリアを食べている途中に、今日は夜もイタリアンだったことに気付く。食事は好きだが関心が乏しいのか、たまにこういうことがある。初めて気まぐれで頼んだ柔らか青豆のサラダが美味しくて驚いた。豆の嫌な青っぽい味がなく、春みたいな甘みとチーズ、卵の塩味が合っており美味しい。ハマるとそればかり食べたくなるので、通勤ルート範囲にサイゼリヤが無くてよかった、と思う。それにしても、おいしい。
夜は職場の同期、後輩と、職場近くのイタリアンへ。職場近くでちょうど良いお店といえばココ、というお店で、何度か行っているが相変わらずちょうど良い。チェーン店よりはこだわりがあるだけのお値段で、でも決して高くなく、ほんとうに「ちょうど良い」という言葉がピッタリのお店。
同期とも後輩とも、一対一で話す機会は多いが、この三人で話すことは少ないし、プライベートでご飯を囲むのは初めてだったので新鮮だった。本当に気配りの人!という感じのお二人。やさしい時間。それでいて仕事に対して真摯に向き合っている人たちとの時間が心地良い。飲み込むより先にポンポン食べてしまう患者さん方に悩むことが定期的にある職業ゆえ、ご飯を食べながら「食べにくい食具とは……」と知恵を寄せ合う時間、よかった。
今の職場で働くのもあと半年。ちゃんと積み重ねて、なるべく美しく立ち去りたい。