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目眩く夕日堂やっほー #16

#16 リーダーって、なんなん??

 こんにちは、夕日堂です。
世の中は10連休だのなんだのと、TVでは民族大移動の様子を映したりしてますが、ま、何のことかよくわかりません。あまり関係ないのでね。
 なんなんって、別に藤井風くんのことを意識してませんよ。因みに彼の通っていた高校はうちの近所です。方言が同じってことですね。何の関係もありません。

 ところで、昨今報じられている遊覧船事故の詳細が判明するにつれ、全く以て暗澹たる気持ちになるのですが、何でこんなことになるのか。こういうことがある度に、誰かが犠牲ににならなければ法律が改正されたり社会機能が更新されたりしないのか、もっと早くに出来なかったのか、いつも後悔を突き付けられることになるのですが、本当に人間って学習能力が足りないこと、いつもいつも思い知らされます。
 今回のことで言えば、「海保の監査がもっと緻密にできないのか」だとか、「同業どうしで一律に連携出来ないのか」だとか、当事者のみならず取り巻く関係者までが批判の対象となり、詰めれば詰めるほど事の至らなさが露わになって、より犠牲者と被害者遺族の心痛を増大させる。まるで底なし沼の地獄に突き落とされたような苦しみを負わされ、心情を察するに余りあります。犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 最も責められなければならないのは経営責任者であることは当然ですが、聞けば被害者への説明対応もまともに出来ていないようで、喋れば喋るほど不興を買うとのことで他の社員が対応しなければならないような有様だそうですが、今回の事例を見るにつけ、リーダーってなんなんだと、しみじみ考えます。
 私自身はリーダーとか責任者だとかは個人的には自覚がないのですが、一応自分の受け持ちとして百人余りの人員を受け持っています。所属人員の個人情報は無論、その家族も含め管理は重要任務ですから、それなりの責任が伴います。いちいち全員と顔を突き合わせて頻繁にやり取りをやっているわけではありませんが、名簿に並ぶ人員一人一人がかけがえのない命ですし、一家を支える大黒柱ですから、事故や病気にならないようきちんとした労務管理や企業活動に専念できるような業務体制を構築するのがマネジメントをする者の責務だと考えます。世の中の大半の経営管理部門を担う方々は同様のお考えをお持ちのはずだと推察いたします。
 翻って、今般の事故の当事者であるこの会社の経営者はどうでしょう。記者会見等の発言を聞いても、仰天するような無神経さはあっても、共感できるような犠牲者遺族等に対する言葉はほぼ聞かれません。喋れば喋るほど「ああ、それはこんな大事故を起こすでしょうな」と思わされることの連発です。
 個人的資質に拠るところが大きいのでしょうが、周りはどうだったのかという疑問はつきまといます。今回のことで言えば国土交通省の管理監督体制でしょう。このまま穴が塞がれなければ、いつかまた同じことが繰り返されることは必至です。
 先日、こんなことがありました。
「ハローワークですが、外国人技能実習生の実態調査をしております」という電話がありました。私の管轄下では2名在籍しています。
「労働条件は他の日本人と違うか」
「監理団体との連携は取れているか」
等の質疑応答を10分ほど電話でしました。疑問を率直にぶつけました。
「忙しいのはよくわかるが、電話で管理状況を聞くことにどれほどの効力があるのでしょうか?」
担当者はコロナの状況で直接調査に行くことが難しいので電話による調査をしている、という回答をされました。正直申し上げて、私には言い訳にしか聞こえませんでした。理由は以下の通り。
①感染症を理由に現場監査等を実施しないのは、現在の感染状況下では全く以て非科学的である、科学に基づいていない。
②感染症を引き合いに、つまりダシに使っている。人員不足や監査スキル不足の言い訳に利用している疑義がある。
 学校教育において教員不足が問題になっていますが、似たようなことは何れの省庁でも深刻で、こんなことは数十年前から予想されていたことなのだから、今更何言ってるんだという話です。海保においても、小さな船舶運航会社にまで出向いて機器計器等のチェックまでやる余裕が無いというのが現実なんでしょう。しかし、何人もの犠牲者を出さないとその意義の重要性が語られないのは、納税者としては全く以て片腹痛いのであります。今回は二十数名の犠牲を伴っているのです。痛恨の極みでしょう。であれば、何とかしなければならないのではないでしょうか。何処も人員不足は深刻です。機械技術的なことで解消するのなら、機器の導入を義務付ける。人でなければ成しえないものは、人材育成に力を入れる。出来る人の努力に頼るだけのやり方は、最早限界を超えています。不適格者には認可しない、厳しい姿勢で臨んで初めて命が守られる最低限にようやく達するのだと考えます。なんでもかんでも規制すれば上手くいくというものでもないのでしょうが、人命に係ることは慎重に運用されるような仕組みを構築しておくことが、人の忠告を聞かずスタンドプレーを好んだ果てに多数の犠牲者を出した今般の経営者のような輩を排除することに役立つのだと思います。また、営業の自由の中にあっても、異常な行動を見過ごさない同業者のモラル向上や連携等の風通しの良さを如何に獲得できるのか、地域の目ということもまた安全性に資する重要な視点であることを指摘しておきます。

 それらのことを踏まえて、最終的には、消費者である私達一人一人が、商品やサービスについてきちんと調べ理解する姿勢が安全確保の決め手になってくるのだと思います。「今まで何も無かったから大丈夫だろう」だとか、説明をよく聞かずにサインしたり搭乗したりだとか、消費者側の無知や無理解も、安全性向上を妨げる一因になりかねません。今回のことで強く学習したのは、条件付き運行というものは本来あり得ない、ということです。現場では条件が悪化したらその時点で取りやめを判断する、というのはどうも常態化しているようですが、「そういうことを平然と口外する業者はヤバい業者だ」ということがよくわかりました。自然相手では人間は太刀打ちできません。勇気ある撤退、諦めるということも、命を守る行動としては必要不可欠です。「この前は大丈夫だった」は通用しない世界に生きていることを、どうか理解していただきたい。
 私は撮影で海にも山にも行きますので、今回の事故は他人事とは思えません。改めて、自然遺産の脅威を思い知らされた感があります。自然は厳しいからこそ美しい。人間の甘えには、何処までも峻厳に答えを返すことを全員が自覚しなければなりません。

 指導者やリーダーと名の付く人間の自浄能力の重要性。私は常々このことを訴えてきました。言えば言うほど、それはそれは嫌われます。「偉そうに、お前はどうなんだ!」言われます。でも、言い続けてきました。他人に理解されるされない、人が見ている見ていないは関係ない。絶対値としての、私の信念です。何故このように、人に嫌われてでも自浄能力の重要性を言い続けてきたのか。それは、私が受けてきた教育に所以があります。長くなりますので、説明はまたの機会とさせていただきます。
 今回の悲惨な事故の一刻も早い被害者の救出と原因究明、遺族への精神的サポート、補償の迅速な解決を切に願います。二度とこのようなことが起こらないよう、一国民として、出来得る限りの協力を惜しみません。


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