カワイくて息が詰まりそう
2010年超えたくらいからか、震災の後からか、世の中にカワイイものしかなくなっていった。あらゆるサービスや商品名は丸いものになり、電車はカワイイか萌えラッピングを施され、車内はトーマスが走り回っており落ち着けなくなった・・・。
アニメも美少女が大量に出てくるものばかりになった。自分が最後にテレビアニメをリアルタイムで視ていたのは、「侵略!イカ娘」と「俺の妹が以下略」までゲソ。
東京が台風19号を食らっている最中、Twitterでは柴犬様ほかカワイイものに縋る人々が見られた・・・。
カワイイもの達もいい迷惑だろw
「あたしにはあなたたちを守る義務はないニャ・・・」
あげくに、ペット同伴できない避難所はクソとかいったりさ。縋るのか護るのか、どっちかにし給えよ・・・。
カワイイの第二形態はない。
いまの日本社会が息が詰まって仕方ないと感じる人は、多数派のはずだ。だが、その結果カワイイものに縋ろうとするという悪手を、日本の大人は選んでいるのだ。カワイイものは閉塞をもたらすからだ。
自分は、ポケモンについては90年代の初代アニメだけ見ていた。その初期ポケモンアニメのライチュウ戦の回で、いまの閉塞感の理由が示されているのだ。記憶によると、ライチュウの強さに前半15分でピカチュウが敗北、サトシは自分のピカチュウをライチュウに進化させるか悩んだ末、進化なしで再戦に挑み勝利する。
サトシには進化させないそれらしい言い訳があったけど、忘れた。作中の言い訳は別として、実際は主役のカワイイピカチュウの外見を変えるわけにいかないからだろう。ライチュウはあまりカワイクナイ。だけど仮にライチュウが十分カワイクても、ピカチュウのままでいさせたいのが見てる方の主流派だと思う。
カワイイ → 現状維持という力学が働くのだ。
カッコイイ・コワイには無限の進化がある
フリーザ様に代表されるように、何段階にも変身したり進化したりするのは、カッコイイものかコワイものに限られる。フリーザ様に「私はあと二段階の変身を残してますが何か?」とかいわれて絶望することはあっても、「あたしはあと二段階のカワイイ進化をすることができるの♪」とか美少女にいわれて、衝撃的カワイさを予想して気絶する、そんなことは考えられない。・・・書いてて少し期待したくなってきたけど。
カワイイことを愛でている人は、対象にそのままの姿でいて欲しいはずなのだ
セーラームーンがスーパーセーラームーンになったりするのは、女子のカワイイ以外の要素がバージョンアップしているのだと思われる。だから、カッコイイ女子の第N形態はあり得る。プリキュアってハイパー化するの?と思って検索したら、こいつが出てきた。あまりハイパーに見えない・・・。
昔からの男子の夢、合体変形ロボ。何回倒しても次の形態に変形するRPGのラスボス。こういうものを世の中に増やさないと、気分的にはますます行き詰っていくだけですよ。
私の大好きな、逆転イッパツマンのトッキュウマンモス変形シーン。もしかして、(少し)カワイイ → カッコイイの変形という、なかなかないタイプかもしれない。
山本正之の歌がいいのよね。シリーズで変わらぬ3悪トリオのロボまで割りとシリアス路線なのも、なかなか。前作の大巨神も少しマジ路線に行ってたが、とどめの大激怒とか、まだふざけていたから。
やっぱり男の戦闘シーンはいいですよ。美少女戦士だと限界がある。ぶっちゃけ、見てて保護欲とか性欲が起動してるから・・・美少女の戦闘シーンだと・・・。これだと突き抜けられないのよ。別の突き抜けはあるかもわからんけど・・・。
美少女が群れて戦うアニメを見ることを、人々は当たり前のこととし過ぎていた・・・と永井一郎にいわれるときが来たのだろう。ザクが空から降ってくるぞ、そろそろ。