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第十一話 【ビエンチャンの主要観光地巡り】2008年2月29日昼その3 タイ・ラオス旅

ようやく観光開始

重いザックをホテルに置いて足取り軽く本格的にビエンチャン観光を始める。身軽、というのはそれだけで素晴らしい。

まず目指す先はタラート・サオと呼ばれるラオス最大の商業施設。タラートは市場、サオは朝という意味なので直訳すると朝市。名前とは裏腹に昼でも夜でもやっているとのこと。
道中は相変わらず特にこれと言って特筆すべきものがない。気になったのは中心部だというのに空き地や打ち捨てられた廃屋が随所にある、ということ。

帰国後、ゼミの教授に質問したが、どうやらラオスが共産主義国家になった際に、多くの資本家(タイ人、華僑、印僑が大半らしい)が国外を退去させられ、また中越戦争が勃発した際に、建国の経緯からラオスはベトナム側についたため、残った在ラオス華僑の大半もパージされたことが関係しているらしい。彼ら富裕層はビエンチャン中心部に土地や建物を多く保有していたが、一連の出来事でラオスを離れざるを得なくなったため、管理するものがいなくなり、廃墟と化してしまっているのが真相のようである。

この種の出来事は他の共産圏でも非常に多く見られることではあるが、大抵は国乃至党のエライ人が財産を接収して何食わぬ顔で流用されている。だがラオスの場合は元の所有者に遠慮しているのか、党内で利害関係の調整がうまくいかなかったのか、詳しい理由は分からないが、土地や建物接収がうまく進まず、そのままの状態で40年近く放棄されているケースが非常に多いとのこと。良くも悪くも要領が悪くシャイな国民性が為せる業であろう。首都の一等地にある所有者不明の土地が長期間放棄されているなんて中々考えられん話だ。

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ビエンチャンで(遅めの)朝食を

5分程歩きメインストリートらしい所に出ると流石に交通量や人手は多く見られる。多くと言っても大渋滞、密集という言葉とは程遠くそれなりにいる、というだけ。ラオスの民族衣装である巻スカート、シンを履いている女学生らしい集団が通りを闊歩しているのが微笑ましい。小麦色の肌に白いブラウスと黒い巻スカートの組み合わせはオリエンタル感満載で非常に映える。バンコクでは絶対に見られない、地球上でこの国しか見られない光景にテンションが上がる。こういう光景をもっとパシャパシャ写真撮っておけば良かったのだが、人間を撮るのは気恥ずかしくて中々出来ず。後悔。

人通りの多いメインストリートになると屋台も出てくる。バンコクでは至る所にあった屋台ではあるが、ここビエンチャンではここで初めて出会す。ラオス名物、バケットのサンドウィッチであるカーオ・チーの屋台。ラオスはフランスの植民地であるので、パンと言えばフランスパン風のバケットが主流であり、このバケットに野菜やハム等を挟んだサンドイッチが好まれているとのこと。同じくフランス領インドシナの一員であったベトナムで言う所のバイン・ミーと同じルーツである。


実はゼミでカーオ・チーを事前に食したことがあり、バケット特有のカリカリした食感にシャキシャキした生野菜とハムやスパムの組み合わせが非常に自分好みであり、本場のカーオ・チーを食べることは旅の目的の一つであった。今日はバナナチョコレートアイス以外、何も食べていない。炭水化物をロクに摂取していないため、遅い朝食を取るには丁度よい機会。

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屋台を仕切るのは如何にも観光客受けと狙ったような小綺麗な民族衣装シンを纏った中年女性。東南アジアの屋台らしからぬ、細かいメニューと値段がバッチリ記載されたボードが添えてあり、外国人観光客にはこの上なくフレンドリーな造りに感動。バンコク国鉄駅前の屋台はどこも値段表記がなかったのと比べると対照的である。今回も現地通貨キープの持ち合わせがないためバーツでの支払いを持ちかけたのだが、嫌な顔せず電卓を叩いて値段を変換後の値段を提示する女性。明朗会計ほど嬉しいものはない。早速スパム入りのカーオ・チーを注文。手慣れた様子でバケットをナイフで切り、これでもかと様々な野菜を入れてくれたが、肝心のスパムはちょろっとだけバターナイフ的な物で塗る程度に留められた本場のカーオ・チー。味は美味いの一言。バケットのサクサク感と沢山の野菜のシャキシャキ感が噛んでいて心地よいし、ちょろっとだけ塗ったスパムの塩気が丁度よい塩梅。
スパムすくねぇな、ケチよのぅ、と心の中で毒づいた自分がなんと浅はかなことか。

トートロジー:
ラオス最大の商業施設はラオス最大の商業施設

カーオ・チーを頬張りながら5分ほど通りに沿って歩くと目的地であるタラート・サオが見えてきた。ビエンチャンは地図が無くても問題がない程、道路が非常にシンプルである。タラート・サオのある通りは政府系の建物が多いエリアに近いためか流石にそこそこの交通量はある。だがひっきりなしに車の往来がある、という訳ではない。ビエンチャンには信号機がないのだが、それでも問題がないレベルの交通量。
別にラオスの人々が民度が高いから信号機が必要ない、という訳では決してなく、信号機のない田舎町の交差点で都度都度個人個人で譲り合いをして流れを維持している類いのものに過ぎない。

個人的に驚いたのが小学生くらいの少女が民族衣装を着ながらノーヘルで原付に乗っている姿が多々見られたことである。首都の大通りをノーヘル幼女が原付で爆走している姿は強烈なインパクトがあった。幼女に原付を買い与えられる、というのはラオスでは相当豊かな家柄の子女であることは伺えるのだが、上流階級の子供がノーヘル原チャで公道爆走、というのが非常にユニークである。ここでしか見られない光景ではないだろうか。

バンコクでも信号機のない道路を渡る経験をしたので、ここでの横断もそこまで苦にはならず。だが交通量が少ないとは言え車道を無防備な状態で横断するのは嫌なスリルがある。経験して糧になるようなことではないので今後できるだけ避けたい。

タラート・サオはカタカナのコの字型をした商業施設であるのだが、名のある店がテナントして入居している訳ではなく、個人商店の寄り合い場であり、東南アジアや中国の地方都市でよく見られるタイプの市場である。日本で例えるなら中野ブロードウェイのような施設。
室内は老朽化が目立ち、冷房が効いておらず淀んだ空気が立ち込めている。改修中のようであり随所随所で工事をしており、通路も狭くゴチャゴチャしている。だが構内を物色する人は疎らなので往来に困ることはなかった。

売っている物はナイキやアディダスの偽物やビーチサンダル等アパレル類を売る店が大半、他は歯ブラシや石鹸、ハンガー等の日用雑貨を売る店が殆ど。9割方店員が女性で、内職なのか店番そっちのけで裁縫をしている人が非常に多く見受けられた。概して非常にやる気がなく、一目見て外国人観光客であると分かる僕に対して声をかける人は誰もおらず、目を逸らすか、冷たい視線を投げかけてくるかのどちらかである。民族衣装であるシンを売っているお店があり興味惹かれたが、女性向けの衣装であるためか、外人のオスである僕が近づいては行けない雰囲気がヒシヒシと感じられたので泣く泣く退散せざるを得なかった。度胸がない。


規模としては確かにラオス最大かもしれないが、商業施設として外国人観光客に魅力があるかというと疑問符がつくが、これがラオスの実情を如実に表しているのだろう。


ごく僅かではあるが、趣味の悪い怪しげな時計や翡翠や象牙で作られた麻雀牌やチェスの駒、中華風の置物等を売る土産物らしき店もあった。
値段を効いてみた所、やる気のない声で「1000ドル」との回答が帰ってきたので、とにかく外国人に物を売る気がないのだろう。この手の土産物を買うのは外国人ぐらいしか居ないとは思うのだが、雇われ人はあまり外国人と接点を持ちたくないようだ。この感覚が兎にも角にも外国人からお金をせびってやろうとするバンコクの商人と決定的に異なる所である。このやる気のなさすぎる対応は毒にも薬にもならないのだが、毒ではないことは海外旅行初心者である僕には大いに助かる。

構内では特に買えそうな物はなかったので何も買わずに外に出る。コの字の中央部分の屋外スペースも市場になっており、スペースが広いためか大型の白物家電類(殆どが中古の電化製品)や野菜、果物、肉類や魚介等の食料品を売るお店が多く立ち並ぶ。
東南アジア故に日本では見慣れぬ食料品が数多く売っており、ただ眺めているだけで楽しい。バンコクの中華街にも同種の市場はあったが、人混みとは無縁の環境であるので落ち着いてゆっくり観察できた。下の写真にあるようなバカでかい果物は一体なんなんだろうか?

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思い切って話しかけてみたが英語が全く通じないのと、その場から立ち去ることを暗に求めているような悲しそうな顔をしてきたのでオズオズと退散。端から外国人を相手にしていない、したくない雰囲気がプンプンしていた。

ラオス最大の商業施設ではあるが、まだこの国は外国人観光客を受け入れる態勢が整っていない、少なくとも市民の間には浸透していないことが肌で感じられた。地元民の憩いの場である市場に、興味本位でカメラ片手にウロウロしている外国人がいたらあまりいい気持ちはしない、という気持ちは痛いほど分かる。露骨に排斥するわけでもなく、敵意を剥き出しにするわけでもなく、お引取りを祈るような消極的な態度を取る現地人の後ろ向き加減に不思議な親近感を覚えた。だが折角来たのに何も買えなかったのは少々、いやかなり残念ではあった。

トイレでカルチャーショック(2回目)

ただ何もせずに退出するのは勿体無いのと、催してきたのでタラート・サオの公共トイレに入る。行けるタイミングでトイレに行かないと必ず後悔する、というポリシーが自分にはある。

いざ、ラオス初の公共トイレへ。早速若干のカルチャーショックを受ける。東北の片田舎にある母型の実家を思い起こさせる金隠し無しの和式?スタイル。それは良いのだが、水を流すのもまさかの手動。粗末なプラスチックな桶が思いっきり水に浸っており触るのが憚られる。マニュアルな水圧で本当に流しきれるのだろうか?ハンドウォッシュに抵抗があったのと、流せなかったことを考えるとショックが大きいので、小さい方だけに留める。

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ミッションコンプリート後、外に出ようとすると久々に知らない人に呼び止められる。清掃服を来た恰幅の良いおばちゃんであり、流暢なラオス語オンリーで何やら話しかけられるが当然何を言っているのか分からない。

どうやら公共トイレは無料ではなく有料とのことでお金を払うよう、求められているらしかったのだが、いくら払えばいいのか分からない。幸運なことにホテルでの支払いとカーオ・チーの支払いで若干のキープ紙幣は入手していたので、取り敢えず5000キープ(50円程度)を支払うと、何やら領収証のような物を渡され無事解放。わざわざ公共トイレの使用料に領収証を発行するのも不思議ではあるし、監視員を雇う人的コストも無駄に思えるのだが、それがこの国の常識なのだろう。

第一の目的地であるタラート・サオ観光は済んだ。次はビエンチャン最大の観光スポットである黄金に輝く仏教寺院、タートルアン寺院。コンパクトな町ではあるが地図で見る限りでは若干距離がある。頑張って徒歩で行くか、それともラオスでは初のトゥクトゥクで行くか。タラート・サオ周辺を取り敢えず散策しながら考えることにした。

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