第八話 【川を越えて、国境を越えて】2008年2月29日朝 タイ・ラオス旅行記
国境の町・ノーンカーイ
殆ど寝ていたせいか、あっという間に感じた夜行列車の旅。
終点ノーンカーイ駅に降り立つ。特筆すべき物が何も無いコンクリート剥き出しのプラットフォームが何処か物悲しい。駅構内は何故か証明が切られているため朝9時だというのに薄暗い。バンコクのフワランポーン駅と比べると、かなり小さくこじんまりとしてはいるが、旅客でごった返しているためか活気を感じる。僕のようなバックパッカーだけではなく、出稼ぎからの帰省客らしき人も多く、出迎えに来た家族や友人らと楽しそうに語らっている。一人旅の身分としては羨ましく思えて仕方がない。
駅の外に出る。バンコクと比べればかなり長閑。舗装が不十分なのかアスファルトの上に土埃が目立つ。高い建物も全く見えず。行商人もいたがバンコクほどギラついた感じはしない。駅周辺は出迎えの車やバイクに混じり、バンコクではあまり見かけなかった東南アジア名物・自動三輪のトゥクトゥクが路上駐車しており、客引きに勤しんでいた。バンコクではタクシーに取って代わられたようだが、辺境の町ではトゥクトゥクはまだ現役らしい。
トゥクトゥクで国境沿いへ
ノーンカーイについては情報を殆ど仕入れていなかったのと、早くラオスに行きたいため、トゥクトゥクの運転手と交渉をする。ラオスへ行くには自然的国境であるメコン川に架かるタイ・ラオス友好橋を越える必要があるのだが、ここは徒歩では越境できない仕組みになっており、決められたバスに乗らなければいけない。無論、無料シャトルバスではなくしっかり料金がとられる。このバス停は駅からそこそこ離れているらしく、またこの町の地図を持っていないため、トゥクトゥクに乗る以外選択肢がなかった。
人生初の交渉による乗り物交渉。バンコクでは散々ぼったくられたので、ここでもぼったくられるのではないかと緊張が走る。金額的には大したことなくとも、ボッタクられる、ということ自体精神的に大きなダメージを受ける。お金の問題ではないのだ。
10台程度のトゥクトゥクが並んでいるが、向こうから話しかけてくる人間は一番危険なボッタクリと相場が決まっている。早速話しかけてきた奴がいたのだが、「ボーダー?100バーツ!」と相場である30バーツの3倍もふっかけてきたので無視。駅から一番離れた所に駐車していた、アイドロップのサングラスをつけたダンディなおじさんにこちらから話しかける。
向こうの提示は50バーツ。地球の歩き方記載の相場より若干高いため、一応切ってみたが向こうは値下げ要求に応じない。若干迷ったが、最初に話かけてきたドライバーが100バーツといきなりふっかけてきたため、他の連中もふっかけてくる可能性がある。それにわずか20バーツ、60円で変にケチってもっと損をする恐れも十分に考えられる。50バーツで交渉成立し、国境を渡るバス停へとトゥクトゥクの旅。
人生初めてのトゥクトゥク。木製の固いシート、バタバタとけたたましいエンジン、排ガスは未浄化の黒煙で焦げ臭い。こりゃすげえ乗り物だな。都市部じゃ排除されるのも納得だわ。車内もグワングワン揺れるし、風もガンガン当たるしでバランスを取ることに腐心していたら5分も経たずにあっという間に到着。全く車窓を楽しむ余裕すらなかった。この距離で100バーツとふっかけていた運転手はどうしようもないボッタクリ野郎だと確信。こんな長閑な地方でさえ、ロクでもない奴がいるのだから恐ろしい国だよ。
陸路国境を越える
降ろされた先にはイミグレーションを示す建屋があり、そこに入って出国手続きを済ませる。パスポートを出すと特に何も言われずアッサリと手続き終了。その後、別の職員に10バーツ払ってバスに乗るよう促され、指示に従い旧型の日産シビリアンのようなマイクロバスに乗る。どうやら一番乗りだったようだが、いつ出発するのかアナウンスは当然のように無い。運転手は外でタバコを吸いながら同僚らしき人と談笑している。思い切って聞いてみたが英語が全く分からないらしく、怪訝な顔をされた。ある程度人数が集まるまで出発しないシステムなのだろう。
ある程度満席になるまで30分ほど経ったが、バスはようやく出発。陸路国境を越えるのは勿論初めての体験である。憧れの国・ラオスへ遂に行けることの喜びと達成感で胸が熱くなる。感慨に浸るのもつかの間、ものの数分でバスはあっという間に止まり、外に出るよう促される。いつの間にかメコン川を渡り国境を越えてしまったらしい。何ともあっけない。国境なんぞ所詮人為的なものに過ぎない、ということを身を持って味わう。
遂にラオスへ - 入国手続き
今度はラオスへの入国手続き。妙に豪華な造りのラオスのイミグレにちょっとビビりる。
日本のパスポートではビザ無しでもラオスに入国可能だが、大抵の国は観光目的の短期滞在であってもビザが必要である。(アライバルビザは取れる)それが理由なのか、イミグレは長蛇の列。窓口も2つしかない。どうやら前のバスの乗客も捌けていないようでゲンナリする。15分ほど待たされたが、手続き自体は何のトラブルもなく完了。
入国審査官の女性がとにかくやる気がなく、欠伸を何度もしていた。妙に威圧的なタイの審査官とは対照的である。共産国の入国審査官がこんなに腑抜けた態度で良いのか。
だがこれで晴れてラオスにやっと入国できた。陸路越境の場合、異国に来た!という感覚は流石に薄いが、達成感はある。思えば遠くまで来たものだ。ラオスでは何が自分を待ち構えているのだろうか?ザックを背負いながら真新しいコンクリート作りの道路を歩き、人が溜まっている場所まで歩み出し始めたのだが、その途端、早速制服を着込んだ警官風の男にいきなり呼び止められる。
ラオス官憲との押し問答
共産国の官憲らしく、威圧的な態度で一方的に捲し立てられるのだが、ラオス語なもんで一体何が何だか分からない。暫くするとポケットから何やらチケットのようなものを取り出し、金を払うよう促された。
そのチケットは一応公的な物のようで、印紙のように格式あるデザインではあったが、ラオス文字しか書かれておらず、何の費用か分からない。ビザ無しで入国していることを咎められているのかと思い、パスポートを見せて日本のパスポートはノービザである、と英語でそれらしい説明をしたのだが、伝わっていないようであり、このチケットを買うよう、詰められている。
これは所謂袖の下、という奴ではないか、腐敗した公務員の小遣い稼ぎに捕まってしまったのか。出鼻を挫かれて暗い気持ちになるのだが、ここを突破するにはお金でどうにか解決するしかない。仕方なくハウマッチと聞くと、敵はメモ帳を取り出し、ラオスの通貨単位である15000キープ(2008年2月当時・150円程度)必要であることを筆談で伝えてきた。根拠は不明だが、べらぼうな金額ではない。しかしラオスの通貨はまだ持っていないのでタイ・バーツならいくら?と問うと50バーツ(2008年2月当時180円程度)と筆談で返すラオスの官憲。バーツの場合、若干コミッション乗っけてきた事が気になったが、余計なトラブルを避けたいので50バーツ払ってチケットを受け取り、何とか事なきを得る。その後、例の官憲は他の外国人観光客を捕まえて同様の押し問答をしてるようだった。くわばらくわばら、さっさとこのイミグレの敷地から離れなければ、と足早に立ち去る。
後で調べて分かったことだが、ラオスに入国するには入国税というものがかかるらしく、このチケットは入国税の領収書であった。決して例の官憲の袖の下という訳ではなかった。この入国税は、空路の場合は航空券代に費用が含まれており航空会社が代理で支払うため意識しなくても良いのだが、陸路の場合はマニュアルで直接支払わなければならない。ただ陸路入国の場合でも、ビザを取得する際に代行業者やアライバルビザの窓口でこの入国税を自動的に支払っているケースが大半のようだが、日本人のようにビザ無しで入国出来る外国人の場合、支払いをするタイミングが無い。徴収漏れを防ぐために、わざわざイミグレ後の通路に官憲が置かれている、というのが事の真相であった。そのためにわざわざ公務員を一人配置するとは随分非効率だと思うが、人件費が安い国だからこそ出来る業であろう。
ちなみに本当の入国税は9000キープ、40バーツということらしい。やはりあの官憲はお小遣いに勤しんでいたようだ。
とにもかくにもこれで晴れてラオスに入国。目指すはラオスの首都ビエンチャンの中心部なのだが、ラオスは公共交通機関が全く発達していないため、何かしらの手段でこの国境沿いのエリアから脱出しなければならない。イミグレの側に真新しい建物があり、そこに若干人が溜まっていたので、そちらに移動。近づいてみると、箱は確かに新しいが中はスッカラカンで調度品等がロクに設置されていないお土産屋らしき店と、ラタンの家具で揃えたおしゃれなオープンカフェがあった。時計を見ると10時過ぎ。気がづけば今日は一日何も食べていない。ラオスらしからぬオシャレなオープンカフェで一休みしてから、これからの計画を考えることにした。