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第三話 中華風味の薄いチャイニーズタウン チョロン地区 2019年4月のベトナム・ホーチミン旅行記 二日目その2


スコールの中のホーチミン市内

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配車アプリGRABで戦争証跡博物館からホーチミンのチャイニーズタウン、チョロン地区へと向かう。スコールの最中であっても、屋根のある自動車の中では快適な移動が可能。自動車と配車マッチングアプリという2大文明の利器の恩恵により、異国でも快適な旅ができるのは本当に素晴らしいことである。

スコール真っ只中であってもホーチミン市内の交通量は多い。
驚いたのは自動車だけではなく、車道を行き交うバイク・原付きの数も変わらず多い所。
地元のライダー達はスコール避けのために、分厚いビニールシートを体にすっぽりと被せながら平然と運転を続けている。傍で見ているだけでも非常に蒸し暑そうであるし、なによりビニールシートが車輪に絡まったら怪我だけでは済まないことは容易に想像できる。それでもなお、スコールの中、バイクや原付を使う地元民の根性は凄い。

いや、根性云々の問題ではなく相当危ないと思うのだが、それで良いのだろうか?横断歩道や信号という概念がなく、交通安全という意識が希薄なこの国では対して重要なことではないのだろう。
先天的に恐怖遺伝子が希薄なのか、単純に危険予知能力が欠けているのか。

運転する側はリスクを承知の上でそのような行動に出ているのだろうが、不運にも事故に巻き込まれてしまう人も当然多く出てくる。自賠責保険の加入率がどの程度なのかわからないが、何にしろホーチミンで生活することは生半可な覚悟無しでは難しいのだろう。


ホーチミンの中華街・チョロン地区

20分ほどでホーチミンのチョロン地区に無事同着。中心部からやや離れた所にあるため、自動車と雖も若干時間がかかった。だが幸運な事にスコールは止んでいた。雨上がり特有の体に纏わりつく湿気と水たまりの照り返しが強烈だが、雨が止んでくれたのはまさに僥倖。

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チョロンというのは「大きな市場」という意味であり、華人が集中的に集まるエリアの通称らしく、行政上の正式名称ではないとのこと。

中華街と言うと赤と黄色で鮮やかに彩られた建物に漢字の立て看板が目を引く人と物が密集した活気のあるエリアと相場が決まっている。
しかし、ここホーチミンのチョロンに関して言えば、大小様々な建物が犇めきあい、人もごった返してはいるのだが、一見した限りでは中華街という印象は受けない。

その手の建造物が全く無い訳ではないのだが、あまり目立たってはおらず、ただヒッソリと点在している。

ガイドブックやWEBでは中華文化とベトナム文化が混じり合ったエリア、という記述がよく見受けられたが、少なくとも我々には中華的な要素もベトナム的な要素もあまり見られなかった。年季の入ったコンクリートの無機質な構造物が雑然とゴミゴミ並んでいる、どこか特定し難いアジアの街の一角、という印象を受けた。

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これはベトナムと中国の関係が複雑であることが理由として考えられる。

文化的、経済的には歴史的にも非常に深い結びつきがあることは言うまでもないのでが、政治的には、そして個々人の国民感情としては良い関係であるとは決して言えない微妙な所がある。

強大な力を誇る中華王朝が幾度もベトナムの諸王国を侵略している、という事情もあるが、何よりも決定的なのはベトナム戦争と、それにより引き起こされた深刻な越中間の対立が大きい。

ベトナム戦争集結直前の1975年ホーチミンの全人口370万人のうち、70万人の華人がチョロン地区に居住していたようだが、戦後の1978年には10万にまで減少している。

ベトナムの社会主義化に伴い経済的に豊かな華人が迫害対象になったのに加え、中ソ対立やポル・ポト時代の隣国カンボジアへの介入等、色々と複雑な政治的な事情が重なり、越中間の関係は極めて悪くなった時期が不幸にしてあった。現に、多くの華人が不本意ながら亡命を余儀なくされた、という悲しい歴史がベトナムにはある。

80年代後半の市場開放政策ドイモイにより、在越の華人人口は50万人ほどに今では回復したとのことだが、歴史的な断絶の影響が大きく、ホーチミンの華人は大々的に自らのルーツを表現できるような環境が整っていないことが容易に想像できる。

成長著しく、地理的にも近いベトナムという国で一番の経済都市であるホーチミンの中華街が、何処か慎ましげに佇んでいる歴史の闇を感じる。

一方で、他の東南アジア諸国では、人口の数%にしか満たない華人が経済を支配している状況を鑑みると、華人の力をさほど借りずとも経済成長を続けられているベトナム人には底しれぬ力と強烈なプライドがあるのではないかとも感じてしまうのも正直な所である。

中華街?の市場へ潜入

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まず最初にチョロン地区最大の一番、ビンタイ市場へ向かった。
前述の通り、チョロン地区には個々人の如何にもチャイニーズな建物が横並びになっている商店群はあまり見られない。代わりに露天商のような個人商店が鮨詰めにされた広大な敷地を誇る複合市場が複数見られる。

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このビンタイ市場というのがチョロン最大の複合市場である。

無骨なコンクリート造りの四角形の建物が特徴的。
中には単一商品を売る問屋がこれでもかと犇めきあっているのは圧巻である。そして建物の外には屋台が多く立ち並んでおり、ここでも同じように単一商品のみを売っている。

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ここは日用品を中心に売る問屋街が中心であるのと、観光客が集う中心部からそれなりに離れている地理的な事情もあり、外国人観光客にとって魅力的に映る商品はほとんど売ってはいないのだが、ステレオタイプな混沌としたアジアの市場を身を持って味わえる魅力的なエリアであった。

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何も買うつもりはなくても歩いているだけで楽しく、エネルギーをもらえる。売られているものは、乾物とスポーツブランドのロゴが入った服飾品(恐らく殆ど偽物)そしてビーチサンダルやスニーカー類等の履物が非常に多かった。特筆すべき所と言えば布を売っているお店もかなりの数があり、ソーイングが趣味の人にとっては垂涎モノかとも思ったが、残念な事に男二人ともそれに関しては門外漢のため、殊に唆られることが無かった。

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また、どの店も全く値札が貼られていないため、相場が全く分からない、という所に怖さを感じる。興味本位で購入しようとするとまず間違いなく嫌な目に合うことが火を見るより明らかな場所であるので、下手に近づかない方が無難であろう。

全体的な印象だが、道は非常に狭く、すれ違うだけで難儀。店員も殆どやる気なくスマホをただただ弄っているだけではあるが、それもこれも我々のような外国人観光客は所詮物見遊山で来ているだけで、到底金を払う客にはなり得ないことを分かっているからこその不遜な対応なのだろう。
ベトナム最大の経済都市であるホーチミンの商業の大本を目にできたのは貴重な経験であった。

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そしてここも照明は非常に暗かった

スコールが明けて外は虹が出来るほどのピーカン青空の真っ昼間なのに市場全体が薄暗い。

消防法もへったくれもない、ドン・キホーテの圧縮陳列も裸足で逃げ出すほどの売り物が詰め込まれている、という環境も勿論あるのだろうが、何故ここまで暗いのか。

ベトナム人は本能的に薄暗い空間が好きなのだろうか。

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中華街、外をぶらぶら

ビンタイ市場を出て周辺をぶらぶら歩く。

規模は大きくないが、やはり無骨な四角形の建物と園周辺を囲む怒涛の屋台と露天で形成された複合市場が至る所にある。

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だがどこも雰囲気は似たりよったり。そしてどこも規模が小さいからなのかビンタイ市場と比べて更に照明が弱く薄暗い。


明るい方が目にも優しいし、商いにも良いのではないだろうか。

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調べた所、JETROのレポートによるとベトナムの電力の多くは水力発電に依存しているとのことで、環境的にも適しているとのことだが、急激な経済発展と安定しない自然エネルギー頼り、ということもあり、そこまで安定した電力を確保できている訳ではないとのこと。

それもあり、節電傾向にあるのかな、とふと思ったが、問屋市場の人間がそこまで気にしているとも思えないし、昨晩の繁華街でも全体的に薄暗い所が大半を占めていたので単純に暗い所が好きな国民性なのかもしれない。

複合市場の冷やかしばかりに時間を割くのは無為であるし、地元民の冷たい視線に応えてきたため、大通りをぶらぶら歩くことにする。

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複合市場外でも問屋は多く見られるが、如何にも中華な建物はほとんど見られない。

中華街には必ずある中華料理屋や怪しげなマッサージもほとんど見られず、ストイックに単一商品だけをこれでもかと陳列している個人商店の問屋が軒を連ねている。

この種の問屋では、複合市場ではスペースの関係では入りきれなかったり、購入者が限られているような大型の什器や家具を売る店が多く見られた。その辺りはちゃんと差別化されているようである。

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特に印象に残ったのは東南アジアの屋台で置かれているカラフルな色をしたプラスチック製のチャチな造りの椅子と机を山程積んでいる問屋エリアであった。

東南アジアの屋台に必ず置かれている押出成形で作られた独特の椅子と机。

耐久性が低いことはひと目で分かるし、使い心地も決して良くはないのだが、あの人工的な鮮やかなプラスチックの発色と気取らぬチャチな部分が、活気ある熱帯の街並みに実によくマッチし、旅情を唆られる素晴らしい家具であると個人的には思っている。

記念に買ってベランダにでも置きたい、と一瞬思ったが、日本への空輸費用が高く付くことは目に見えているので早々に諦める。

だが山のように積まれている光景は圧巻であるし、元バックパッカーとしては何とも言えぬ感動が体を過る。

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ベトナムの喫茶店は蓮茶に限る


しばらく歩くと流石に喉が乾き、疲れが出てきた。戦争証跡博物館でお茶をして一休みを考えていたのだが、前述の通りすべて満席で諦めたツケがここで出てきた。残念なことにこのチョロン地区にはコンビニ等の小売が全くない。

複合市場を取り囲む屋台には、軽食や飲料を売る店露店が沢山あったのだが、個人商店の問屋が連なる中途半端なエリアに行くと、その種の露店はものの見事に全く無い。


慌ててガイドブックやネットで調べたが、喫茶店等は期待できないので事前に飲み物類を購入したほうがベターという記述が至る所で見られ、自らの計画性の無さに唖然呆然。

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スコール明けの照り返しの暑さと喉の乾きが強烈なストレスを生み出し、徐々にギスギスした感じになる我々。

必死でネットで調べるのだが、喫茶店らしき店は全く見つからない。

あと2ブロック進んで何もなければGRABで中心部まで戻る、というルールを課して無言で歩くと、幸運なことにグーグルマップにも乗っていない喫茶店を発見。

それも若者が最近オープンしました、と言わんばかりの無骨なチョロン地区に似つかわしくないおしゃれ系の喫茶店。これはラッキー!と早速入店。

座面までの高さが30cmくらいの異常に低い椅子と、それ以下の低さの木製テーブル、という不思議な座席ではあったが、コンクリート打ちっぱなしで夜はバーとしても営業しているような雰囲気の中々のおしゃれな喫茶店。

エアコンがガンガン効きすぎていて汗だくの我々の体温を大いに奪っていったのはアレだったが東南アジアなので仕方がない。

店内は若者が多く、複数台設置してあるテレビではKPOPと思わしき曲のMVが大音量で流れていた。ブイビエン通りでも感じたことであるがベトナム人は大音量で音楽を流すのが好きなのだろうか。

中途半端な場所の喫茶店であるためか、メニューはベトナム語と中国語の表記だけ。ベトナム語は全くわからないが、中国語繁体字は何となく意味がわかるので助かる。漢字文化圏で生まれ育ったことに毎度感謝する。


ここで僕はライムジュース、Sはエナジードリンクらしきものを注文。敢えてベトナム名物であるコーヒーは注文しなかった。

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ベトナムは統計上、世界第二位のコーヒー生産国であり、ベトナムではコーヒー文化が根付いているのだが、ベトナムで主に供されているコーヒーは一般的に我々がイメージするコーヒーとは大きく異なっている(ロブスタ豆という濃い豆で主にブレンド用途として使われている)

そのためか、ベトナム式のコーヒーは、練乳をドバドバ入れた無茶苦茶甘いモノが主流である。これは喉の乾きに苦しむ今の我々には全くマッチしない代物であるので、地元の名物のベトナム式コーヒーの注文を泣く泣く諦め、だが無難で想像できるモノでははなく、地元でしか味わえないようなものを注文したのであった。

だがライムジュースはガムシロップが入れられていたのか異常に甘くさっぱりとしたライムの風味はない。

Sが頼んだエナジードリンクも異常に加糖されており、口の中がねっとりとした嫌な甘みでいっぱいになってしまった。

ただ幸運なことにサービスで供された冷たい蓮茶が口触りが非常によく、この蓮茶のお陰で気力、体力ともに大分回復した。無料で出された物の方が満足度が高い、というのは些か奇妙な話だが、このような経験こそ海外旅行の醍醐味よ。

30分ほどの喫茶で元気を取り戻し、次の目的地である大型スーパーへ向かうことにした。

勿論、GRABで!本当にこのアプリは便利だ。個人旅行の革命であるよ。

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