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良かったことは忘れがち

こんにちは。めここです。


良かったことって、なぜ忘れられがちなんでしょうね。

できなかったこと、悪かったことはずーっと忘れられないことが多いです。


もちろん、成長していくうえで、同じ失敗を繰り返さないように、失敗のほうが記憶に残りやすいという事実はあると思います。


ですが、あまりにも良かったことが日の目を浴びなさすぎる社会な気がします。


よく、謝罪会見ってありますよね。

企業だったり、芸能人であったり。


あれって、たまに、何に謝ってるの?っていうことありませんか?


(これは個人的意見ですが、とくに不倫の謝罪会見なんて、世間にはなんの関係もないのに…と思ってしまいます。)


それなのに、"謝罪会見をした人" というよくないイメージだけがついてしまう。

なぜ、どんな理由で、誰に謝っているのか、という謝罪の本質を見失っているものもあるような気がしてなりません。



誰かが、何か失敗をしてしまったとき、その失敗にばかり目がいって、普段からできていることに気がつけません。


良かったこともあるはずなのに、それはすべて悪かったことで上書きされてしまいます。



いったいその人が、どんな思いで日々仕事をしていて、どんな努力をしているのか、わたしたちはすべてを知ることはできません。

ですが、少し想像することくらいはできると思います。


もちろん、想像もつかないほどスケールの大きい話もありますが。




なんだか収集がつかなくなってきました。

考えがまとまらないまま、書き進めてしまったからですね。



とにかく、Twitterやテレビを見て胸糞が悪くなったのでこんな話をしてしまいました。


同じ人間なんだから、少しくらい「お疲れ様でした」と言ってやれないものでしょうか。


たかがネットで、あーだこーだ騒いでいる人は、国全体を取り仕切る苦労を、少しでも想像できているんでしょうかね。


論拠のある批判と、感情に任せた不平不満は別物です。



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