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妊活しようって、決めた日
前回のnoteより、子どもを持つことへ消極的だったが、実は妊活を始めてみようと決心した。
31歳になる1週間前のことだった。
残りの人生でチャレンジの何年か、をもつ価値
仕事は嫌になれば転職したら良い、結婚は離婚もできる。
住んでる家は状況が変われば引っ越せば良い。
でも、子供は一度産まれたら不可逆。
そこの怖さをずっと思っていた私だったけど
「ただ、僕は子供を持ったことはないですが、子供だったことはあります。親になると忘れてしまうのかもしれませんが、僕は今、子供の立場でものを言っています」
この漫画もめっちゃ好きなんですが!
自分の子供の頃を思い返したら、家族という形で関わり続ける関係性だって、長く見積もっても20年か・・・・と。
「親」という立場で頼られる期間は
短いわけでもないけど永遠でもないと思った。
だったらその何年かを、感じてみてもいいのかなと。
仕事と育児の両立を乗り越えることもまた一興
1つめの時間軸と少し被るけど「中身」という意味で。
ワーママの大変そうさ、感じながら
一方で仕事にハリが出そうな想像を最近思ってきた。
というのも、自分の生き様、感性を振り返ってみたんだけどね。
仕事のスタイルとして、営業時代から1つのことに集中し続けるよりもマルチタスクをガンガンこなすのが性に合っているなとか、
マッチングアプリも行動をし続けてこその価値を感じる性格だったなとか、
あと、もう1つ思ったこととして、
ここまでの社会人人生で仕事を一度も辞めたいと思ったことはなく、新しい部署にいってからも、悪い方のギャップを感じたことがない。
これって、適応力的な話もそうなんだけど、多分
「自分の状況における想像力」が割と高いんだろうなと。
だから、多分だけど、私だったらいけるんじゃない?と私が想像しているラインには大変ながらも到達できそうな気もしていて。たぶんね。
※これは、あくまで私が考える、子育てと仕事の両立の話だから、そんなレベル?ってなりそうだけどね
「私の人生、そこまで乗り越えてこそ、いいんじゃない?」と。
もしも、の時が腑に落ちた
最後に。
誰も何も悪くない、努力や医療技術の世界じゃない「障害を持った子どもが生まれた」場合のこと。
ずーーっと恐怖だった。自分の子だから可愛がれるよ、とか、もともと子どもが強く欲しかったわけじゃない私は素直に頷けないし。
何より、ずっと働き続ける前提の人生設計が崩れるのは本当に無理。
それだけは無理だったんだけど、
旦那さんと最終的に話し合って、万が一の場合仕事を辞めるのは旦那さん側という結論を二人で出せたのも大きかった。
冷静に考えて、
・男性の方が再就職もしやすい
・彼は私よりも3歳下なのでそもそも可能性が広い
・私もフルリモートのお仕事なので、家に一緒にいられる
あたりから。
この決断を一緒に出してくれた旦那さんに感謝だし、こういう話し合いができるパートナーで改めてよかったなと。
以上、
ここまで小さな本音が積み重ねて、納得の結論だと思っている。