無力
同じことで苦しんで薬を沢山飲んで腕を切って11年振りに吐いて、そんな感じの最近だったと思う。割といつも通りの日常だ。
死にたいと思いながらそれでも生きているとなぜこんなに苦しいのか、その答えが見つかることもある。この2年弱、自分自身そのことでほとんど頭がいっぱいいっぱいだった。
私が苦しいと思う要素のひとつにポルノ中毒があることに気付いた。
私には性欲はほとんどないので、それ目的で見るわけでもなく、ただただ意味もなくポルノをずっと眺める日々。
何かと治安が悪い地元だったのでアダルトコンテンツに幼い頃から触れる機会が多かったが、性体験や性被害を幼い年齢で知ってしまい、そういう行為は好ましくない、穢れている、と思っている。多少柔軟になれど、この考えは今でも変わらない。故にポルノにはかなり抵抗がある。
布団から出られない日、どうしようもない焦燥感に駆られた時につける画面の明かり。見たくないと何時間も焦らしたあの日々たち。
それでも、心の底から見たくないと思っていても見るのを辞められない。画面から目を離せない。心が痛んで、絶望の海の奥深くに沈んでいくような感覚が堪らなくなる。
認知が歪んでひとつの概念のして蝕むとある人。
これもひとつの自傷。そしてトラウマの再演で傷を抉る。
この症状に悩まされ20年弱、このつらさがポルノ中毒だったと気付かされたのは本当に最近の話だ。
あぁ。もっと早く気づけば良かった。そんな単純明快な答えなら。原因も分からず上手く言語化も出来なくてとても苦しかった。
冒頭の発狂もきっかけもポルノなので割と深刻な問題だ。
全てのポルノがダメな訳では無いし、好むポルノもあるので程よい距離感で向き合っていきたい、が、根本的な解決にはどうすればいいのか。それが今後の課題だ。
とはいえ、光させど果てしなく遠い出口を見上げるのは絶望だ。どうせ同じことを繰り返す堂々巡りしか目に見えない。自分の非力さを痛いほどに実感する。
ポルノを見ているといつもなんでやねんとツッコミを入れたくなってしまうのだが、これも1つの解離かもしれない。
私が星に手を伸ばしても背後から逃れられない影が
夢に現れて首を絞めてくる絶望よ
嗚呼無力也。